育児と向き合うことになるまであまり気にしたことがなかったけれど、春は卒業式や入学式などの季節でもある。様々な制服やスーツに身を包んだ親子の姿を目にすると、他人事とは思えなくなっている自分がいることに気がついて、「おめでとう」と心の中で声をかけている。
一見幸せそうにしか見えないこの景色の向こうに、どれほどの道のりがあったのだろうと想像すると、なんとも言えない気持ちになってうっかり涙が出そうになってしまう。ロックだポップだと言って生きてきたミュージシャンでさえそんな気持ちになるのだから、人間というのは変わるものなのだ。
自分は今、しばし育児に専念するために表立ったアーティスト活動はおやすみしているが、実を言うとそれはこの期間にどうしてもやりたいことがあったからでもある。それは人の「心」についての知識を深める時間を持ちたいということだ。
「三つ子の魂百まで」という言葉は聞いたことがあると思うが、これはただのことわざではなく、人は産まれた瞬間から幼児期までの体験がその後の人生に非常に大きな影響を及ぼし、人生の土台になるということが、世界中のさまざまな研究者が重ねてきたデータから実証されていることを知った。
全く知識も経験もない子育てについて必死でwebや書籍で情報を探していく中で、自分にとっても子どもにとっても二度とない今のこの時間を、できる限り大切にしたいと思ったのがその大きな理由だ。
以前ブログにも書いたが、この数年のコロナ禍で自分の主たる仕事である音楽などのエンタメは「不要不急」のものであるのかという根本的な問いに直面することになった。その自問自答は今でも続いているが、確かに音楽は衣食住に関わる社会インフラと比べれば直接的な影響は少ないだろう。でも、音楽は人の「心」に働きかけるものであることは間違いない。「心」というのは目に見えないものだが、人間にとってそれは生死を分けるほどに重要なものにもなり得る。そう考えると自分は人の「心」に関わる仕事をしてきたにもかかわらず、そのことについてほとんど何も知らなかったのである。
育児というのは子どもと向き合うことによってあらためて人間の「心」がどのように育っていくのか、そして自分自身の心の在り方がどういうものなのかを一緒に見つめ、育んでいく機会だと考えるようになった。このノートがなかったら、きっとそんなことを考えることもなかったかもしれないと思いつつ日々を重ねている。
そんな中、昨年有志のファンの方々から「coemo(コエモ)」という子ども向けのおもちゃをいただいた。簡単に言えば子どもに物語の読み聞かせをしてくれる機械なのだが、これがすごいもので、あらかじめ連携したアプリに自分の声を読み込ませて、それを転送することによって様々なお話を自分の声で読んでくれるのだ。カーナビの音声案内などが自分や家族の声で話されるのをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。
ここ最近、息子は自分でcoemoを立ち上げ、登録したお話を選んでそれを聞きながら眠るということを始めた。寝かしつけの絵本地獄からしばし解放されるのは大変ありがたいことだが、果たしてこれが子どもと自分にとってどんなプラスとマイナスがあるのかを考えるようにもなった。
そこから最近話題になっているchatGPTなどをはじめとするAIについても考えた。アニメや映画の中に出てくる、人間が作ったものが人間を支配するという状況が、もはや現実として目の前に出現しつつある。人間にしかできないことはこの先どんどん減っていくのかもしれないが、同時に人間にしかできないことが一層明確になっていくのかも知れないとも思う。
そんなことを考えつつ、どんな時代になっても子どもの未来にはきっとそれなりの希望があると信じている。
今日もポケモンの中にはない「あまえんぼうタイプ」というカテゴリーを勝手に生み出し、自称する息子を抱えてごはんを食べさせているわけだが、これは今のところAIには出来ないことは間違いないはずだ。
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【お知らせ】
新年度に合わせ、盟友でありパパ友でもあるマエソワヒロユキ氏とstand.fmというプラットフォームで
「クロソワンの そだて!しあわせくん」
という音声配信コンテンツを始めました。テーマは男同士の育児談義「育談」。音楽の話はほとんどしていないし、話が脱線することもありまくりですが、平日金曜以外は実験的に毎日更新していくことにします。アプリからコメントやレター機能があるので、是非このノートと合わせて息抜きにしてもらえたらうれしいです。ご意見、ご感想、お悩み相談など、なんでもお寄せください。
何卒よろしくお願いします。
(by 黒沢秀樹)