1月の社長インタビューは絵本塾出版の尾下千秋社長です。尾下社長は絵本塾出版の前にTRC(図書館流通センター)の社長も務められました。TRCの前身「学校図書サービス」に学生アルバイトとして入った若き日のお話からうかがいます。
図書館流通センターの時代
学校図書サービスと出会ったきっかけを教えてください。
「朝日新聞に配達員募集の広告が出ていたんです。行ってみたら面接してくれたのが超美人で、ここならバイトしても楽しそうだと思いました(笑)。それが創業者石井昭氏の奥様の渡辺和子さんでした。
バイト初日、配達するつもりで出勤したら、石井さんが『みんなで小学館行こう』と言うんです。当時小学館は「日本百科大事典」を売り出したところで、石井さんはこれを学校の先生に売ろうと考えたんですね。
小学館では38歳の篠編集長に、百科事典とはどういうものかを朝から晩までレクチャー受けて、翌日から都内に10数人のバイトが『さあ売ってこい』と放り出されました。
はっきり覚えています。午前10時半ごろ滝野川第4小学校に着いたら、3時間目が始まる前で、忙しい時間だったはずだけれど白いトレパンの男の先生が話を聞いてくれて、5分で「よし買おう」と言ってくれたんです。名前も覚えてますよ。尾崎先生。
その後一週間、毎日1セットずつ売れました。他の人たちは1セットも売れず、すぐにやめていってしまいました。2週目からは売れに売れました。一番多いときは一日28セット。
毎日朝会があって、営業マンの前日の売上を発表するんですが、ぼくだけ群を抜いて高いんですよ。他の人が3万4万の中、ぼくは1セット1万6千円の百科事典を10セットとか売りましたから」
抜群の営業成績だったんですね。何かコツがあったのでしょうか?
「会ったときから100年前からの友達のように接する。初対面でも相手との溝を無くさなきゃ営業ってできないんですよ。構えたら相手も構える。ぼくは誰と会っても昔からの友達のようにすっと入れる。仕事以前に性格の問題でしょうけどね。
商品知識はもちろん必要です。でもそれ以外にどれだけ溝を感じさせないかが大事。それができたらことは簡単。人は物を買うんじゃなくて、人柄を買うんですよ。
若いころ、買ってくれた先生がよく『うちに遊びに来い』と言ってくれました。こいつ面白いな、と思われたってこと。そこが大事だと思いますね。
当時の学校図書サービスはまだ社員が5名に満たない小さな会社でした。でもとても働きやすい雰囲気があったからそのまま就職しました」
学校図書サービスは合併を経て図書館流通センター(TRC)となり大きな規模の会社に急成長していきます。尾下社長はその中で主にどんな仕事をされてきたのでしょうか?
「まず営業ですよね。営業の責任者をやって、それから物流に移りました。
物流システムの構築に力をそそぎましたが、一番大きいのは公共図書館用の『情報と物流を一致』させたことですね。
TRCには、TRC MARCというデータベースがあります。紙で管理されていた書誌情報がデータ化され、のちには公共図書館の8割で導入されるようになっていました。そのデータを使って新刊情報誌が作成され図書館に配布されています。その新刊情報誌に載っている一般書の在庫を始めたのが『情報と物流の一致』のスタートです。
それまでは図書館が本を発注しても品切れが多く、半分しか納品できないようなことがよくあったんです。
そこを様々な在庫システムを作り、品切れ問題を改善しました。いまのTRCは注文の97%が在庫品から短期間で納入されていると聞いています。
そういう便利さがあって、たくさんの図書館が使ってくれるようになったんですね。
ぼくがTRCにいた時代は、日本全体も出版業界も上向きでした。国が豊かになって図書館が各地にどんどん作られた。そのことが図書館流通センターの基礎を築いたといってもいいでしょう」
尾下社長が学校図書サービスに入ったのは1964年。図書館流通センター社長に就任したのが2000年。数名の会社から図書館業界では知らぬ者のない大企業へ、その変化はさぞダイナミックなものだったと思われます。9日(月)更新の第2回をお楽しみに!
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※尾下社長は「ビーゲンセン」の筆名で絵本作家としても活躍されています。
尾下千秋(おしたちあき)
岐阜県生まれ。永年図書館用の物流構築に携わった。在任中、子会社の出版部門を担当。その一方で、絵本用の物語を書き始め、「にじになったさかな」「ヨウカイとむらまつり」「どうぶつのおんがえし」「パパにあいたい」などを出版した。
子供たちにも受け入れられると感じ、退職して出版社を立ち上げて現在に至る。以降の作品に
「なんのいろ/なんのおと/なんのかたち/なんのにおい/みつけよう」の五感シリーズなどがある。絵本作家としての名はビーゲンセン。一般向けの著作に「変わる出版流通と図書館」がある。