今月の社長インタビューは岩崎書店の岩崎弘明社長です。ご両親は児童書の老舗として知られる岩崎書店の創業者。しかし岩崎社長自身は出版とは全く別の道を歩まれました。まだ外国が遠かった時代にカナダ・アメリカに雄飛された若き日々のことからうかがいます。
夢は大きく海外へ
岩崎社長の海外志向は子どものころからだそうですね?
「広大な土地に行ってみたい。中学くらいからそう思っていました。
当時父がよく口ずさむ歌があったんですよ。『狭い日本を離れて広大な土地へ行こう』みたいな歌詞の、いま思えば満州に人を送りこもうという時代の歌で、父はそういう国策には大反対だったのですが、歌は好きだったんですね。
あと中3のとき観た『風と共に去りぬ』。アメリカ南部の、もうとてつもなく広い農場、その風景を見ただけで心が震えました。
最後、主人公スカーレット・オハラが過酷な運命に打ちひしがれるんだけれど、「私にはタラがある」、この大地があるから大丈夫だって言うんですね。
あれも広大な土地へ憧れるきっかけだったと思います」
海外志向に対し、ご両親の反応はいかがでしたか?
「応援してくれてたんじゃないかな。父は常々、狭い心ではいけない、雄大に考えろと言っていた人だし、母にも反対された記憶はありません。
両親を見ても二人の兄を見てもそうなんですが、うちの家系は進取の気性というか、一か所にとどまらず新しいことにチャレンジするのをよしとするような傾向がとてもある気がします。
学生のときはポルトガル語を学び、ブラジルで大牧場をやるのが夢でした。しかし3年生の夏、北海道の農家に住み込んで、朝から晩まで働かせてもらったらこれが本当に大変で。おまけに蚤やシラミにも悩まされ、都会育ちの自分には農民は無理だと痛感しました(笑)」
「大学を卒業して、日産自動車に入社したのは海外駐在のチャンスがあると思ったからです。1960年代初めの自動車産業は国内市場の限界を予測し、海外進出に力を入れだした時期で、商社からの引き抜きでなく、生え抜きを輸出部に投入し始めていました。
希望が通り、ロスアンゼルス駐在となったときは嬉しかったですね。マーケティング部で5年間懸命に働き、口幅ったいようですが、それなりの成果もあげられたと思っています。
帰国してからも外国で暮らしたいという夢は消えませんでした。むしろむくむくと脹らんでいくようでした。36歳のとき、思いきって日産を辞め、妻と二人の息子とカナダへ移住しました。そのとき北米で唯一移民を受け入れていたのがカナダだったんです。
カナダで2年暮らしたあと、縁があってロスアンゼルスで事業を始めることになりました。
初めに乳酸菌飲料の製造・卸し、のちに文房具を中心に輸出入の会社を経営しました。時代もよかったんですね。アメリカ経済は回復途上、日本はバブル真っ只中で、小企業ながら安定したアメリカ移住生活を過すことができました」
少年の日の夢を実現し、順調なアメリカ生活を楽しんでいた岩崎社長ですが、53歳のとき海の向こうからの1本の電話が、岩崎社長を日本へと呼び戻します。11日(月)更新の第2回をお楽しみに!
岩崎弘明(いわさきひろあき)
1940年神奈川県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。
父岩崎徹太は岩崎書店創業者、母治子は同社編集長。しかし読書少年ではなく野球少年として成長する。若き日から広い世界に憧れをいだき、初め日産自動車駐在員として、のち永住移民者としてアメリカ暮しを実現する。1993年帰国し、1995年岩崎書店代表取締役社長に就任。現在会長と社長を兼任する。(本インタビューでは社長と表記させていただきます)
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