絵本の家、小松崎敬子社長インタビュー最終回です。子どものころからずっと本が好きだったという小松崎社長に、絵本の持つ特質、そして絵本に限らず「本」というものへの想いをうかがいました。
最後に残るのは絵本かもしれない
絵本の家を長く続けてこられました。振り返っていかがですか?
「運命だったのかなあと感じることはあります。私は本当は適当な性格なんです。若い時分はころころ仕事を変えてたくらいですから。
でも絵本の家はお話したような事情で投げ出せなかった。投げ出せなかったから続けて、続けたおかげで自分なりに一つのことを極められた。
なりゆきで出会った洋書絵本と何十年もつきあってきたんです。何かに導かれた、というとカッコよすぎるかしら。
本は子どものころからずっと好きでした。紙が好きで活字が好き。
今、本がなくなっていく時代です。情報は紙でなくてもいいから。
でも絵本は残るでしょう。電子書籍にはなじみません。紙の手触りとか、あったかい感じがとても大切で、子どもに手で届けたいものだから。1枚1枚めくっていく、この「形」に意味がある。残っていくと思います。
いろんなものが情報だけになってしまう前の最後の時代かもしれない今、そこに関われていることがすごく幸せ。
あら。こういうことあまり言わないんだけれど。照れくさいから(笑)」
最後になりました。当インタビュー恒例の質問です。お好きなホテルを教えてください。
「4月、熊本で地震がありましたでしょう? あのときちょうど旅行に行ってたんです。シングルズで。大学テニス部の友人で今は未亡人になった女性3人組です。
飛行機で福岡に入りレンタカーで熊本に行きました。1度目の大きな揺れの翌日、もうないだろうと旅を続けて黒川温泉の黒川荘に泊まりました。
前夜はお風呂にも入れなかったので、ゆっくり温泉につかり気持ちよくお布団に入ったら、夜中にがーっと2度目の大きな揺れが来て。今度はダメかと思いました。
でも宿の人たち、すごくちゃんとしていました。建物は危ないからみんなお庭で、車の中で寝るんですけど、次から次へ余震があるんですよ。そんな中、毛布配ってくれたり、朝にはおにぎり持ってきてくれたり、いろいろしてくれました。
若い従業員さんが多かったけれど、あんなときでもちゃんとやるのはすごいな、と3人で感動しました。職業意識っていうかな。立派でした。
だから、ブックフェア出張で行ったボローニャやフランクフルトなど、ヨーロッパには素敵なホテルがいっぱいありましたが、今回は黒川荘」 黒川荘オフィシャルサイト
小松崎社長、長時間ありがとうございました!
小松崎敬子(こまつざきけいこ)
昭和23年、母の実家の逗子で生まれる。4人兄弟の3番目。
2歳の時に世田谷区祖師谷に戻る。
祖師谷小学校、鷗友学園女子中・高等学校、学習院大学経済学部卒業後、
赤ちゃんとママ社、長沼弘毅氏の秘書を経て、ほるぷ海外事業部で海外絵本に携わる。
53年、結婚。
ほるぷ時代に上智社会福祉専門学校に通いカウンセラーを目指すが、絵本の仕事を続ける。
59年、長女出産。絵本の家の設立に参加。平成1年、代表取締役となり現在に至る。