【 生物学魔談 】魔の寄生・ハリガネムシ(3)

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数日後、筆者は大学の図書室にいた。ハリガネムシを徹底的に調べるためである。収穫はあった。なぜビーカーの中で出てきたのか。その推測も得ることができた。

最も驚いたのは、ハリガネムシはじつは水性生物だという点である。水中でオスメスが出会い、メスはタマゴを大量に産む。タマゴから出てきた幼生は川の底でうごめき、なんと「食べて、ちょーだいっ」と捕食者を誘うのだ。まさに逆転の発想。
ここからハリガネムシの奇怪な寄生ライフが始まる。数々の運不運でラッキーに次ぐラッキーを獲得し、川から陸(おか)に上がり、寄生したカマキリを操作し、川に飛びこませて自殺させるという、にわかには信じがたいような芸当をやってのけたスーパーエリートハリガネムシだけが再び川に戻ってくるのだ。

【 寄生ライフ・その1 】 幼生は川底でうごめいて捕食者を誘うのだが、魚の餌食になったらアウト。水性昆虫の餌食になったらセーフである。素人考えでは、この時点の選択肢で「魚の餌食になったらセーフ」の方が陸に上がる必要もなく、したがって川に帰ってくる試練もなく、よほど寄生ライフもシンプルで楽だろうと思うのだが……なぜあえて「苦難の昆虫餌食コース」の方を選んだのだろう。酷な生き残り課題を子孫に与え、それを全てクリアしたスーパーエリートハリガネムシだけの子孫で良いという考えなのだろうか。奇怪というほかない。

【 寄生ライフ・その2 】 虫に食われてセーフとなった幼体は「シスト」となる。これはなにか。自分で繭のような殻を作り、そこで休眠態勢となるのだ。これはもう映画好きとしては「エイリアン」に登場の、例のズラリと並んだ気味の悪いタマゴを連想する。まさにアレである。カゲロウ、ユスリカ、トビケラ……このような水性昆虫たちは腹中にシストを持ったまま羽化する。シストはかくして陸に進出するのだ。

【 寄生ライフ・その3 】 羽化した水性昆虫たちはあちこち飛び回り、さらなる捕食昆虫に捕まる。鳥に捕まったらアウト。カマキリ、カマドウマ,コオロギなどの虫に捕まったらセーフである。クモならどうか。やはりアウトだろう。
どの虫がアウトでどの虫がセーフなのか。なにしろ捕食昆虫の種類が多すぎるもんで、まだよくわからんらしい。ともあれ「ハリガネムシが腹中で成虫となったときに操作できる昆虫」がセーフなんである。

どう操作するのか。川に飛びこませて自殺させるのだ。その操作手段はまだよくわかっていない。研究者たちは「カマキリの脳にある種のタンパク質を注入して操作」と考えているらしい。このあたり、「本当にそうかな?」とちょっと疑いたくなるというものである。というのもこのシリーズの「タイワンアリタケ(2)」でも紹介しているとおり、「アリの脳にいるハズのタイワンアリタケ菌が、じつは脳にいなかった」という驚くべき最新研究報告が出ている。こっちの操作も、人智を越えたさらに奇怪な方法かもしれない。

大学の図書室でため息をつきつつ考えた。もう数回、小学校に行って「むかつくリサーチのお仕事」を仕上げる必要があった。再び気絶担任と会える。彼女にとっては思い出したくもない悪夢のような事件だろうが、筆者にとってはぜひとも思い出していただきたいことがいくつかあった。そこで悪知恵を働かせた。

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「あの子にはなるべく正確な知識を教えたい」と筆者は言った。「……そうすることであの子のショックはやわらぎ、同時に新たなカマキリの知識を得るのです」
担任は同意した。筆者は「あの日」にカマキリにいったいなにが起こったのか、詳しく知ることができた。
以下は、その時点で得た筆者の推測である。昆虫学者でもその道の研究者でもない、ただの「虫好き大学生」の推理である。なので正解かどうかの判断は、読者のあなたに委ねたい。

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【 推測・その1 】 その朝、カマキリは紙箱に入った状態で小学校に運ばれて来た。恐らくは「腹中の虫」も「なにごとならん」と異様な振動を察知したハズである。もしかして「そろそろ川に落ちて死んでいただく時期かもしれん」と考えていた時期に、よりにもよってトラブルだ。「えらいこっちゃ。コイツの身になんかあったぞ。鳥かなんかに食われたか?」という疑惑で焦った気分となったのかもしれない。

【 推測・その2 】 そして、思い出していただきたい。……担任は理科室に行き、大きめのビーカーを借りてきた。「ちょっと狭いかも」と思いつつ、水道水で軽く洗い、教室に持って行った。少年に命じてカマキリをそれに入れ、上に本を乗せた。……つまりビーカーの中には水滴が残っていた。そこに閉じ込められたカマキリの頭上には本があり、狭いビーカーの中では水滴が蒸発して湿度がぐっと上昇していたのではないか。腹中の虫はそれを察知した。「おっ、水の匂い。もしかして川が近いのか?」と判断し、一か八かの賭けに出た。……そう、彼は(彼女かもしれんが)脱出実行に踏みきったのだ。かくして教室は大騒ぎとなった。

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リサーチは完了した。小学校に行く最後の日だった。以上の推測を担任に告げようと思った。筆者はかなり(いや相当に)無神経な男だが、「こんな話を昼食時にするべきではない」という判断ぐらいはできる。そこで放課後に彼女を捕まえてこの話をした。

ひととおりの説明が終わり、しばしの沈黙の後で筆者は言った。
「この話をあの少年にするかどうか。お任せします」
「わかりました」と彼女は言った。
「……しますか?」
「わかりません」
それ以上の会話は無意味だろうと思った。筆者は礼を述べて教室を出た。彼女は教室内に座ったままで、廊下には出て来なかった。
………………………………………………( 完 )

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