踏切に「魔」がついてしまう。あなたはいま、どんなシーンを連想しているだろうか。たぶんあなたとぼくはいま、同じようなシーンを連想している。しかしそのシーンを説明するなんてことは、普通はまずやらない。ことほど左様に、それはおそろしくまがまがしいシーンだから。
小学校低学年時代、ぼくは少々神経質な子だった。常に外から来る無数の大小様々な「ささやき」に対して、いつも微妙にイライラしているような少年だった。その頃の写真を見ると、ぼくはいつもまぶしそうに目を細め、ツルンとした眉間にうっすらとシワを寄せて、妙な方向を注視している。クラスメイトたちがみなカメラ目線で天真爛漫ににっこり笑っているような写真でも、ぼくだけがカメラ目線ではない。
なにを見ていたのか。……そうではなかった。ぼくの場合、具体的な「なにか」を見ていたのではなかった。ふと妙な気配を察知し、その所在を確かめるために瞳をこらしていたのだ。しかし無駄だった。なかば恐れなかば期待して見つめたその先に、具体的な「なにか」が見えたことは、ついに一度もなかった。
そんなぼくが最も嫌っている踏切が、通学路近くにあった。そこでなにがあったのかぼくは知らないし、知ろうとも思わなかった。とにかくその踏切は、他の踏切とは明らかに違っていた。なにがどう違うのか。仮にその時代のぼくにそうたずねたとしよう。極端に無口だったその少年は、実際にはまず答えることはない。しかし仮に答えたとしよう。「悪いことをたくらんでるなにかがそこにいる。いつもいる」……そう答えるだろう。
話の本題は、ここから始まる。
大学生時代、ぼくは男子寮に住んでいた。全寮制でもないのにわざわざ国立大学の男子寮に入ろうなどという大学生は、早い話が全国から集まった極貧学生である。いいトコの息子はみなアパートや賃貸マンションから大学に通っていた。
男子寮の部屋は一応個室だが、我々が「潜水艦」と呼んでいた縦長4畳ほどの個室にテレビを持っている寮生はだれもいなかった。みな「談話室」と看板がかかっている6畳ほどの部屋に集合し、多数決で番組を決めてテレビを見たり酒を飲んだりしていた。
ある夜、談話室に4人ほどが集合してビールを飲みつつニュースを見ていた。そこに1人が入ってきた。彼はさも疲れたようにドカッと畳に座り、そして言った。
「おとといの飛びこみなんだけどさ……」
みな嫌な顔をした。我々はすでにその事件を知っていた。近くの踏切で接近してきた電車に飛びこんだのは30代の女性だという話だった。ぼくはその女性を知らなかったが、知っている寮生がいた。近くの居酒屋でバイトしていた女性らしい。彼女になにが起こったのか知らないが、「それにしても、そんな死に方をしなくても……」というのが大方の感想だった。嫌な事故だったし、それ以上のことを知りたいとは思わなかった。しかし入ってきた寮生は、その事故に興味を持っていたらしい。彼は続けた。
「左の手首だけが見つからんらしい」
(つづく)
※『魔談』が電子書籍化されました。「魔の踏切」の続きは『魔談特選1』でご覧いただけます。