第168話 ゲストティーチャー⭐︎漫画家 前篇

八ちゃんの学校では、6年生の時に「職業紹介」という授業があります。会計士、キャビンアテンダント、薬剤師、サッカー選手、ラーメン屋など、様々な職業の人を「ゲストティーチャー」として招き、15分の授業が行われます。

授業は同じ内容で3回繰り返され、生徒は毎回入れ替わり、興味のある授業を選んで受けるシステムです。

ある日、八ちゃんの担任の先生から……

……と、ご依頼をいただき、ゲストティーチャー「漫画家」として授業をすることになりました。

さて、どのような授業をしたかというと…

「売れる漫画家になる方法に興味のある人は、映画『ルックバック』などを見てください。私は、売れない漫画家が、どんな風に、何十年も楽しみながら漫画を描き続けているかというお話をします」

……という前置きの後、小さい頃から現在までを、「やっとこ!サトコ」「やっとこ!サトコなう」で描いた絵をモニターに映しながら説明しました。

小さいころはピンクレディに夢中で、その頃は友達のミカちゃんと一緒にアイドルになるのが夢で…

それから、小学校の校門前に売りにくるひよこ売りのおじさんからひよこを買ってニワトリになるまで育てたり…

……フェルトでマスコットを作るのも好きで、ある年の夏休みには、1日1個のマスコットを作り、夏休みが終わる頃には30個のマスコットが出来上がりました。

ピアノも大好きで、幼稚園生の頃は先生の代わりにオルガンを弾かせてもらっていました。

みんなから褒められ、自分はピアノの才能があると思い、音楽大学ピアノ科を目指すことにしたら、その道に進むにはとても遅れていると言われました。

音大を目指すために厳しい先生に教わることになりましたが、毎回、全然ダメだと言われ続け、自信喪失していたところ…

……別の先生に救ってもらい、希望を持ち続けることができました。

中学3年生の時、その先生から、

「高校生になったら、ピアノのことだけ考えてほしい。家で勉強する時間はとれなくなるから、勉強は、授業に集中するだけで音大受験できる学力をつけてほしい。だから、レベルの高い授業が受けられる、学力の高い高校に入ってほしい。」

と言われました。

そのことを塾の先生に相談すると、人の何倍も勉強するように言われました。

死に物狂いで勉強して、第一志望の高校に入学して、さてこれからピアノと思っていたら、先生は結婚して遠くへ引っ越すことになりました。

他の、良い先生を紹介すると言われましたが、違う先生の元ではがんばれる自信がなく、ピアノを辞めてしまい、高校時代はずっと、ぼんやり過ごしました。

東京に行けば夢が見つかるかもしれないと考え、都内の大学をたくさん受験して、たまたま合格した大学に入りました。そこは文学部国文学科だったので、自分も小説を書いてみようと思いましたが、全く書けませんでした。小説を書く人は、たくさん小説を読んでいると知り、自分はあまり本を読んでいないから書けるわけがないと思い、すぐに諦めました。

そんな時に、蛭子能収さんを知りました。

蛭子さんは、活字の本も漫画も殆ど読んでいないのに、漫画本も、エッセイ本もたくさん書いていると知り、自分も蛭子さんみたいに漫画を描いてみようと思いました。

大学を卒業する年に、初めて描いた漫画を月刊ガロに投稿したら、表紙だけ小さく掲載されて、入選の手前のノミネート作品に選ばれました。

大学卒業後、会社勤めをしましたが、やっぱりどうしても漫画家になりたいと思い、2年で辞めました。それから、月刊ガロに毎月、作品を描いて持ち込むことを半年ほど続けたら、今度は正式に入選しました。

月刊ガロを作っていた人達がアックスという本を作り始めたので、その後はアックスに漫画を持っていき、載せてもらえるようになりました。他にも、漫画やイラストの仕事は少しもらえるようになりましたが、生計を立てるほどの収入はありませんでした。

その頃に結婚して、まもなく出産して、漫画で生計を立てる心配より、ほかのことで頭がいっぱいになり、漫画が描けなくなりました。

子どもが生まれると、毎日、忙しいけれど楽しいこともたくさんありました。

アックスに投稿する漫画が描けない代わりに、日常を漫画にするようになりました。

エッセイ漫画は日記のようなものなので、いつかまた、純粋なフィクションの物語を描いてアックスに持って行きたいと思い続けていましたが、全く話が思いつきませんでした。

自分と同時期にアックスに載っていた作家がどんどん立派になり活躍しているのを見て、羨ましい気持ちになったりもしていました。

アックスに漫画が描けなくても、何かを作る人になれれば気が済むかなと思い、コースター作家になろうと、フェルトでたくさんコースターを作ってみたり……

……漆喰で箱を作って、箱作家になろうとしたりしました。

そんな時、友達の誘いで法律事務所でアルバイトをすることになりました。雑貨を作りながらバイトをして、それなりに毎日楽しく暮らしているのだから、もう、アックス作家にこだわるのは辞めようと思うようになりました。

ある日、法律事務所の近所のオフィスビルにストリートピアノが2週間だけ置かれました。バイト帰りに、家でよく弾いているショパンのノクターン2番を弾いてみました。

子どもの頃の発表会のようで、とても懐かしくもあり新鮮でもありました。より魅力的な演奏をするには…?と、YouTubeで演奏解説動画を見たり、色んなピアニストのノクターンを聴き比べしたり、ショパンの映画を見たりして、自分なりの演奏を研究しているうちに、ノクターンの物語がなんとなく頭に浮かんだので、漫画にしてみました。

その作品を約二十年ぶりにアックスに持って行ったら載せてもらえることになりました。

それ以降も、「道化師の朝の歌」「雨だれ」など、クラッシックのピアノ曲をテーマにした漫画がアックスに掲載されています。

……と、ここまで説明したところで、1回目の授業は15分経って終了しました。

本当はこの先、ピアノ漫画家としての夢を語ろうと思っていたのですが、時間が足りず、残念でした。(後篇に続きます)

(津川聡子 作)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

津川聡子作「やっとこ!サトコ なう」「第168話 ゲストティーチャー⭐︎漫画家 前篇」いかがでしたでしょうか。前置からもう面白いし、教材にこの『やっとこ!サトコ』シリーズが使われたのも嬉しい。
学校の先生にとっては「八ちゃんのお母さん」、ピアノの先生にとっては「熱心な生徒さん」、私にとっては「友達で、普通の生活の中の奇妙なキラメキを描き続ける漫画家」である津川聡子さんのいくつもの顔とその変遷、この漫画の読者としてはまるで自分の人生みたいに胸に迫り……ますよね? 迫らない人はバックナンバーを読み込んで! 面白いから😆
ピアノ漫画家としての夢、早く読みたいけれど続きは再来週に!

「やっとこ! サトコ なう」へのご感想・作者へのメッセージは、こちらからどしどしお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに♪

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内>