先週、映画『万引き家族』のことを書いた。
実は観終わった後、思い出されて仕方がない別の作品があったので、今日はその作品と『万引き家族』のことを書きたい。
食べるか食べないか、それが家族の絆
その作品とは映画ではなく、連続短編アニメーションで、一人で制作してインターネットで公開された後に評判を呼び、DVDが出たり劇場映画化までされたfrogmanによる伝説のFlashアニメ、『菅井君と家族石』である。(同じ作者によってその後制作されたアニメ『秘密結社 鷹の爪』の方が、地上波TVで放映されたり、TVCMに起用されたり、何作も劇場版映画が作られたりしたそうなので、有名かもしれない)
『菅井君と家族石』と『万引き家族』とは、片方が短編アニメーション、片方が実写映画、などというのが些細な違いと言えるほど作風が違う。『万引き家族』が、クスリと笑えるところは多いものの概ねシリアスなドラマで、どこまでが丁寧に作り込まれ、どこまでが場の空気や役者の身体性から生まれた偶然の産物なのか見分けがつかないリアルさのある作品なのに対し、『菅井君と家族石』は、じっくり考えて味わうなど野暮という域の、やや毒気のあるナンセンスコメディだ。背景も単調ならば人物もほぼ単一の絵しか使用されず、そればかりか上半身しか描かれていないという省力・低予算感がまた味わい。キャラクターの声も全て制作者一人で担当している。
「家族は全員、自分」などというと、何やら含蓄のある言葉にも聞こえるが、文字通り一人が家族全員役を演じている(もちろん家族以外の登場人物も)。
「菅井君」は五人家族だ。島根県在住の国籍不明の謎の黒人一家で、家族全員無職。その辺の草や野生動物を捕まえて食べるなど日常茶飯事。「動いているものはとりあえず食う」のが身上、だが「家族は食べない」。つまり菅井君一家にとって家族とは「動いているが、取って食べてはいけないもの」らしい。シンプルな定義である。
ありそうでない、ようでやっぱりある?共通点
『菅井君と家族石』を初めて観た時は面白さに衝撃を受けたものだし、「まるで気分は悪魔の髪型〜♪」という、兄ちゃんが口ずさむ謎のフレーズや、「男の武器は石だっちゅうの」というじいちゃんのセリフはしばらく癖になった。
(蛙男商会公式サイト「深読みガイド」によると、 “兄ちゃんのセリフ「まるで気分は悪魔の髪型ぁ~ まるで気分は悪魔の髪型ぁ~」は、ベックの『デビルズ・ヘアカット』という曲の「Got a devil’s haircut in my mind」というフレーズを、FROGMANが自己流に解釈したもの。” らしい)
まさか『万引き家族』を観て連想することになるとは自分でも予想外だったが、よく考えると、『菅井君』家族と『万引き家族』、この二家族には共通点が結構ある。
まずは物語開始時に五人家族であること。『菅井君一家』は基本的にはずっと五人だが、じいちゃんがちょっちゅう庭を掘り返して「マイスィートハート」(ばあちゃん)の骨と再会するなど、他にも時々準メンバーのような闖入者が現れる。家族構成はじいちゃん、父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃんに菅井君。家族全員無職だ。『万引き家族』の子どもたちは幼いので無職でも当然だが、菅井君の兄ちゃんは36歳ニートである。「ものまね四天王」を目指してみたりするが当然のごとくうまくいかない。かれらは動くものはとりあえず捕まえて食うが、「盗みはしない」主義らしいので万引きはしないのだろう。と言いつつ、犯罪まがいのことにすぐに手を出したりおかしな巡り合わせで珍事が起こったりして、しまいにはテロリスト一家として指名手配され、潜伏していたものの、とある出来事でそれがバレて大騒動になる。
『万引き家族』は当初は祖母と父、母、息子、母の妹という五人に、六人目の家族として幼い少女が加わる。「骨」こそ画面に出てきはしないが、既に亡くなった「家族」がこの一家の結びつきに小さくない役目を負っているとわかる場面が複数回ある。そのうち「家族全員無職」に近い状態に追い込まれ、いよいよ犯罪がエスカレートするばかりか秘密が暴かれ、物語は一気に終局に向かって急展開する。
多少こじつけもあるが、こう並べて書くとわりと似てはいないか。
しかも、そこが作品の肝であるので詳しくは書かないが、もっと重要な共通点がこの二家族、二作品にはあるのだ。ぜひ両方観て、一見似ても似つかない二つの作品の共通点に頷いてほしい。頷けなければ無理やりもっと探してほしい。
血は飲み物ではないし入浴にも適しません
さて先週『万引き家族』についての記事には「血は水よりも濃い」という言葉について色々書いた。強い絆を結ぼうという時に人はそれを「血」の絆に似せようとしてしまうものか、自ずと似てしまうものか、などについて。
しかし思うに、「血」というのは表面に見えないものだ。「血」はいわば目に見える、物質的な繋がりで、精神的な繋がりの方が目に見えないという考え方もあるが、そういうことを言っているのではない。「血」が繋がっているか否かは即物的なものであるがゆえ、「血」の共有を厳密に確認したければ、刃物なり注射針なりで身体を傷つけ、血液を取り出さないといけない。剣呑なことである。
強い絆や繋がりを「血」「ジュース」「お茶」などの液体にたとえて、『万引き家族』のそれは甘苦い水だと結論してみたが、甘いだの苦いだの、飲み物として飲んだ時のことばかり考えていたのは後で思えば結果としていい線だ。
「血」で問題となるのは遺伝子や遺伝子的な即物的な肉の繋がりであって「味」ではない。だが、体液の客観的な成分の合致度よりも、「味」のような主観的なものをはじめから拠り所にして繋がってはいけないのか。それがつまり強い絆は「血」に似せねばならんのか?という私の疑問そのものだった気がする。
「菅井君」家族はあまり現実的な壁や内省的な問題に直面しないだけあって関係性の指向を考察するつもりで見るとかえってわかりやすい。「血」に対して、厳密な成分などあまり気にせず、「よく知らないが噂によるといいものらしい」くらいにしか思っていない感じがある。今回のタイトルにしてみたが、菅井君家族の絆は「コーラ味の温泉」ではないかと思う。血の共有を確認するのは物騒な行為だが、飲み物ならば一緒に飲んで共有できるし、温泉ならば一緒に入れる。飲み物も温泉も、外部からもたらされるが、身体の中に成分が入ってその一部になる。共通の成分が血管に仕込まれる原因は血縁だけではない。
こう書くと、当初立てた強い繋がりが何を志向するかという問いから離れ、「血の繋がりよりも一緒に過ごした時間」という普通に穏当な結論に行ってしまいそうで、それはそれで正しいとは思うが、言いたいことは少し違う。
強い絆を築こうとする時に、あたかも血で繋がっているような関係を模すのがいいとも思わないが、かと言って、血の繋がりはないが同じものを一緒に飲む時間を積み重ねてゆっくり関係を作り上げるべき、と思ったわけではない。
極端に言えば、「絆」の強さが、過ごした時間の長さや飲み物の好みで決まるとは思わないということだ。
志向する方向として「同じ飲み物を一緒に飲んだような関係」「同じ温泉に一緒に入ったような関係」もありだ。同一のものに違う味を感じたとしても、それもいい。
「一緒にコーラ味の温泉を掘り当てて浸かったような関係」でもいい。なかなか難易度は高そうだが、それは決して関係性の全てでもゴールでもないところもポイントだと思う。『万引き家族』が、目に見えるところでは「犯罪の共有」というエクストリームな関係で繋がっているが、それが絆の核心ではなかったように。
さて『菅井君と家族石』において、実は「温泉」は重要なファクターで、『万引き家族』とのもう一つの共通点も温泉のシーンで明らかになる。
大爆笑できてある意味感動的なシーンだ。
「一緒に温泉を掘り当てて浸かる」のは難しいが、「一緒に温泉を掘り当てて浸かったような関係」は、余計なものに囚われなければ案外シンプルでたやすいことではないかと思わせつつ、大変愉快痛快、単純にただただ面白い名作なのでおすすめしたい。
現在『菅井君と家族石』連続アニメバージョンDVDは中古品が流通するのみだが、「ニコニコ動画」「バンダイチャンネル」などの有料動画サイトで視聴することができる。
2018年6月現在、amazon prime video 対象タイトルにはなっていないが、amazon video でも視聴は可能。
『万引き家族』の是枝裕和監督の作品『海街diary』『そして、父になる』などは prime video 対象で、prime会員ならば追加料金なく視聴できる。
『そして父になる』は「血の繋がりと家族」というテーマをもっとストレートに描いた作品らしいが未見。『海街diary』は観たが、やはり「血の繋がりと家族」というテーマを絡めつつ、少し遠景で描くような印象的な作品だった。映像がとても美しく、登場する四姉妹もそれぞれに健気な美しさがあり、重苦しい出来事もさりげない出来事も、等しく時間の流れの一コマとして淡々と描く、動く風景画のようだった。
ホテル暴風雨2005号室は新村豊三さんの映画レビュー『好きな映画をもう1本!』です。こちらの『万引き家族』プラスもう1本!の記事もぜひご覧ください。
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