映画『グリーンブック』・型から抜け出すための型

映画「グリーンブック」の凸凹コンビぶりを猫で表現

GREENBOOK 「グリーンブック」の二人を猫で表現 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

落語のように完璧? 映画『グリーンブック』

『グリーンブック』という映画を観てきた。

先月の新村豊三さん「好きな映画をもう1本!」でも紹介されていて、本年のアカデミー賞作品賞受賞の話題作だ。

監督:ピーター・ファレリー 出演:ヴィゴ・モーテンセン マハーシャラ・アリ他

新村さんも大絶賛のこの映画、私も素晴らしいと思った。様々な見方のできる作品だが、私の第一の感想は、「落語みたいだ」というものだった。

面白おかしい滑稽な話という意味合いではなく(面白おかしいシーンもあるが)、「型」として完璧にできているという意味で。

古典落語というのは、何人もの噺家が話芸として語り継ぎ磨き上げてきただけあって、話の展開といい人物造形といい、わかりやすくシンボライズされていて無駄がない。「この種の面白さを伝えようと思うならばこの形」という最適解の一揃いではないかと思う。江戸期の町人文化にないものはもちろんこのセットには入っていないが、それでもかなりの充実ぶりだ。

同様に『グリーンブック』は、「人種も性格も現在住む世界も生まれ育った環境も違う、普通ならば接点のないような二人の人間が、違いを少しずつ理解し、同化はしないまま良いものを与え合う関係を築くに至る」という物語を描きたい場合の、これ以上あり得ない最適解の一つなのだ。

どんな映画か、新村豊三さんの言葉を借りると、「1962年のアメリカで黒人ピアノ奏者シャーリーがイタリア人のトニーを用心棒兼運転手として雇って、演奏旅行のため8週間南部を車でまわるロードムービー」である。

事実を元にした映画で、シャーリーもトニーも実在の人物の名前なのだが、私は実在の二人について何も知らないので事実とどれだけ合致しているかは判断できない。フィクションとしてどう面白いかという切り口で語るのみになるが、この二人の作る「凸凹コンビ」の造形がいいのだ。

絵的にもキャラクター造形的にも見事な凸凹ぶりだ。その凸凹感をより味わうためには、時代背景のことも少し知る必要がある。

1962年のアメリカと、勇気ある行動をした人たちの話として

1962年というと黒人差別は今よりずっとあからさまで、特に南部では黒人が立ち入りを禁じられる場所が多く、もし黒人が旅をするならば「黒人専用」「黒人が泊まれる」宿を探さなくてはいけなかった。そういった宿を網羅した旅行ガイド「グリーンブック」という本が実際にあり、本作に登場もするしタイトルにもなっている。

主人公トニー(演じるのはヴィゴ・モーテンセン)はナイトクラブの用心棒の職からあぶれたばかり。粗野だが機転が利いて腕っぷしが強い。裕福ではないが、家族や仲間の結束を重んじるイタリア系のコミュニティの中でうまくやっており、その人脈などから仕事を得て立派に家族を養っている。

シャーリー(演じるのはマハーシャラ・アリ)は天才ピアニストで、ホワイトハウスでも演奏するなど既に名声を得、カーネギーホール上階の、豪奢な部屋に一人で住む人物。博士号を二つ持つなど学識のある理知的な教養人。黒人差別が強く残る危険な南部へ、あえて8週間の演奏旅行へ出かけようとしている。そのために、腕が立ち度胸があるという評判のトニーを、運転手兼用心棒として雇って連れて行こうというわけだ。

トニーは別に偏見のない人物ではなく、この時代によくある感覚の持ち主。深く考えてのことではないが、差別的な言葉もポロポロ出る。選り好みできる立場ならばシャーリーの仕事は受けなかったかもしれず、高給に魅力を感じて受けたのが本音のようだ。だが不快な相手ならばいい仕事でも断ってしまう性格なので、ボスとして最低限認めてはいるところからのスタートだ。

演奏旅行中、予想通りシャーリーは時にひどい差別を受ける。演奏者として招かれ会場では喝采を浴びたとしても、それはそれ、これはこれなのだ。最後に行く予定なのは、舞台の上でさえ危険かもしれない土地。トニーはそんなシャーリーをどうにか守り、自分自身もかっとして暴れたくなるのをこらえにこらえて旅を続け、衝突の多い二人の関係にも次第に変化が訪れる。

このように、差別があって当たり前の世界での二人の勇気ある行動を描いた物語としても受け止められる。世の中を少しずつ良い方に変えるのは、ポリティカリーコレクトなことしか言わないように気をつけることや無難に目に見える部分を平等に整えること、ではなく、実際のところ、不完全でもお互いを知る努力と行動力なのだろうと思う。

やっぱり「落語」級の凸凹コンビぶりを味わう映像として

さて、観終わってから調べたのだが、人種差別を描くというこの映画の社会的な側面に関しては賛否両論あるようで、どちらの感じ方もそれぞれ理解できる。だがやはり、私にとってこの映画の肝は「凸凹コンビの完璧な凸凹ぶり」だ。賛否両論の「否」意見としては、ステレオタイプ的である、問題を鋭くえぐったり新しい光を当てる革新性が何一つない、などがあるらしい。まあそうかもしれない。だが、完璧な凸凹を描こうとしてステレオタイプ的なところが一つも出てこなかったらそれは異常だ。仕方がない。凸凹を楽しむ映画でいいのではないか、社会的な問題を含む場面に凸凹が出現したって別にいいのではないか、と私は感じた。

まずこのコンビ、見た目からしてわかりやすく対照的。

トニーはいかにも強そうながっしりした体型だがお腹はメタボ気味。すごくよく食べる。ホットドッグ、サンドイッチ、フライドチキン、ピザ、などなど豪快に物を食べるシーンが多出する。私のお気に入りはピザを食べるシーンだ。あんな食べ方をする人は初めて見た。きちんとした服装は苦手で、すぐに動きやすいようにカスタマイズしてしまうようだ。平たくいうと着た途端着崩れている。「気は優しくて力持ち」的人畜無害な人物とは言えないのだが、人に頼られ、愛されそうなおおらかな雰囲気が外見に表れている。

対してシャーリーは見るからに知的な人物。美しい英語を話し、すらりと背が高く仕草も優雅。トニーいわく「ジャングルの王みたいな」派手なガウンも、スーツもタキシードも、セーターやパジャマさえ、完璧なスタイルで上品かつスタイリッシュに着こなす。シャーリーのファッション七変化も映画の楽しみどころだ。所作やマナーを含む自分自身の対外性を「何となく周囲の環境から身につけた」のではなく、意志と美意識の力で作り上げたタイプの人物の雰囲気がすごく伝わってくる。ピアノを演奏するシーンもかっこいい。舞台の上では愛想よく笑顔を振りまくが、それ以外の場所で心の底から楽しそうに笑うことは稀。孤高の人である。

見た目の上での完璧な対照は白人と黒人であることにもよると思うのだが、では性格面でも私が感じた「完璧な凸凹」って何だろう? と改めて考えてみた。

「何かを軸にして完全に反転させた」コンビというのが完璧な凸凹になるのではないだろうか。

トニーとシャーリーは、思うに「複雑なところ」と「単純なところ」が完全に反転している。

「複雑」は本作のセリフに何度か登場する重要キーワードでもある。

トニーは自分の楽しみと家族の幸せが大事で、そのためのお金や人脈には執着するし、うまく立ち回るため適当なデタラメも言う。だがそれ以上のものではない。マイペースに思ったまま行動し、腹が立つと咄嗟に手が出るし、嫌な奴とは付き合わない。単純な人物に見える。

シャーリーは音楽家としての野心や、差別に屈せず正攻法で認められたいという思い、さらにこの世界全体に対する使命感まで強く持っているかのようだ。差別に阻まれ不利なぶん、人に咎められたり自ら恥じるような隙のないよう、いつもよく考え精神的に武装し、屈辱的な思いも我慢している。だがそれらは「自分の価値を高める手段」だけでなく、さらにもう何層か重ねたような複雑さを持っている。北部にいれば才能と名声に守られて一応は安全に豊かに暮らせるのに南部へ赴くのも、「世の中を変えるための勇気」のみでは説明できない感じがある。自分の制御を超える未知の世界への冒険心にかられ、よくわからないまま止むに止まれず向かってしまう、というような。芸術家らしい、それも、野生的な突出した一つの才能でなく、多面的な才能に付随する性質とも見える。

さてこれらの反転部分はどこかというと。

シャーリーは複雑な鎧をまとって生きているのだが、その下には純真で単純な面を隠している。普通ならば見せて歩いても構わない部分まで覆い隠して生きてきたせいなのか、音楽ばかりに集中してきたせいなのか、世事に疎いところが大いにある。散々理不尽な目にあってきたのに、適当にうまく対処する器用さにも欠けている。社会的な行為に限らず、人のすることに「なぜそんなことをするのか? 何を得るものがあるのか?」とトニーに尋ねるシーンがいくつもあるのだが、割り切れないこと、自分の理屈に合わないことがなかなか理解できない。正しさが万能の武器と信じる理屈好きの子供の単純さがある。

一方のトニー、行動原理は単純だが、人間の心の機微には敏く、人に表の顔もあれば裏の顔もあり、どちらが表か裏かも実は定かでないという複雑さを体で理解している。大勢の人の中にあっても場の雰囲気に決して飲まれず、敵意や悪意の気配があれば素早く見抜き、ひるむことなく駆け引きができる。単純に見えて実は「複雑なもの」への耐性が著しく高い。ということは、自分の中にも複雑なものを隠し持っているし、どこかで自覚はしているということなのだろう。トニーの見せるおおらかな優しさは、生まれついての性格というより、複雑さへの耐性や許容と共に身につけた「複雑な」タイプの優しさと懐の深さであるようなのだ。

このような完璧な凸凹の対比を見せる二人である、もはや東海道五十三次だろうがスイーツ名店巡りだろうが、どこに送り出しても確実に面白いに決まっている。だが、ベストアンサーはどれか? という考え抜かれ選び抜かれたシークエンスが、心を打つストーリーと美しい絵としてすっきりさりげなく描かれているのだからすごい。理不尽な差別は描かれるが、重すぎないというか、不必要にどぎつく不愉快なシーンはない。クスクス笑えるところもたくさんあり、二人のおじさんたちは可愛くかっこいい。多くの人が楽しめる映画に違いなく、オススメだ。

タイトルの絵はトニーとシャーリーの二人をネコ科で表現。これくらい凸凹なんですよ。書ききれなかったこともあり、実に色々な楽しみどころのある映画だが、見事な凸凹ぶりにもぜひ注目してみてほしい。

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