こんにちは。ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。
ホテル暴風雨無重力室にて4回に渡って猫丸さんのレビュー「つばな『バベルの図書館』と福永武彦『死の島』 描かれなかった物語」」が掲載されました。
1回目 つばな『バベルの図書館』と福永武彦『死の島』の共通点
2回目 脱線してミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』のことばかり
3回目 主に福永武彦『死の島』の紹介
4回目 主につばな『バベルの図書館』の紹介
ちゃんと最後まで行って終わるのかハラハラしましたがどうにかなったようです。
ところで突然ですが、「島」と「鳥」では全然違うものなのに漢字がすごく似ていることが昔から不思議で面白いです。
福永武彦といえば私は高校時代に全集を読破したほど大好きなのですが、『死の島』のことを、実際読むまでは『死の鳥』と勘違いしていました。
えっ?と混乱した方、本当のタイトルが『死の島』(しのしま)で、私の勘違いが『死の鳥』(しのとり)です。この説明を読むまで、「なんだ、死の鳥(とり)だと思ってたよ!」という方もきっといるものと確信します。
これまでも、手袋を死体と間違えたり、輪ゴムを琵琶法師と間違えたり、捻挫を残念と間違えたりする間違えやすく驚きやすい私ですが、勘違いや見間違いをした時にとっさに脳内に妄想が広がる速度ときたら人後に落ちないのではと自負しています。
『死の島』を実際に読む前、『死の鳥』だと思っていた時も、死の鳥って面白くてかっこいいタイトルだなあ、どんな話かなあと、それはそれは壮大な妄想が頭の中に広がっていました。
やはり死神のように死を運んでくる鳥なので、きっとすごく大きな鳥なのでしょう。色は黒ですが、光線の具合で、というよりむしろ暗闇の中で、藍色や深緑色に輝いて見えたりするのではないでしょうか。翼をゆっくり羽ばたかせて飛ぶタイプで、でも形は猛禽に似ているでしょう。死を運ぶ恐ろしい鳥ですが、もう亡くなってしまった懐かし人を思い出させる、どこか優しい顔をしているに違いありません。
若い時に傾倒したものとその後しばらく距離を置くことはよくあります。自分が好んでいたものに対してどこか気恥ずかしさを感じるというやつです。私もまさにそうで、福永武彦作品に、暗く、一方で甘ったるく、本質にたどり着かない堂々巡りの理屈のための理屈に満ちているようなイメージを持ってしまい封印し、読まない時期もありました。
しかしすっかり大人になってまた読んでみると、やはり優れた作品だと思い直し、それ以上にすでに影響を受けすぎて自分の感性と分かち難くなってすらいると感じます。作品のテーマや構成といった部分よりも、どんな文章を美しいと思うかという点で特に。今読めば古めかしく感じるところもありますが、硬質で精緻な文章は香り立つようで、むしろ内容なんぞ何でもいいからずっと読んでいたいという気にさえなります。
久々に福永武彦の小説を読む時、いつも遠ざかっていた何かが旋回して戻ってくるイメージを持ちます。それこそが、読む前にタイトルを勘違いして妄想の中で育ってしまった「死の島」の姿にとても似ている。夜明けや夕方、薄明薄暮の頃の空に似合う、ひときわ暗い、でもよくよく見ると濃色の仄かな輝きが優しい翼の色をした鳥。間違っても、冒頭に載せた絵のようなふざけた鳥ではないのですが、あの勘違いから生まれた妄想のことを思い出していたら、なぜかこんな絵が描けてしまいました。
「バードアイランンド」「鳥島」と呼ばれる島は内外にあちこちあるようです。でも「アイランドバード」「島鳥」と呼ばれる鳥はいるのでしょうか。見当たりませんでしたが、ご存知の方はぜひ教えてください。
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