ヌルイ区に近いホドヨイ区にアンティークでシックな構えの小さな洋館が建っている。海老茶色の屋根に、飴色の木目の壁が美しい建物だ。正面には、レースのカーテンがかかった出窓があり、その横にはガラスがはめ込まれた木枠のドアがある。ドアの横には「ロイヤル紅茶館」とペンギン語で書かれた木製の看板。そう、もちろん、ここもおさかな商店街。ペンギンが営む店である。
店内には、テーブル席とカウンター席があり、外観同様に品の良い落ち着いた空間だ。店全体を見渡せるような場所に、油絵で描かれた肖像画が飾られている。そして、カウンター席に座っているのは、肖像画とそっくりな顔のペンギン。そのペンギンは、暖かい紅茶が入ったティーカップを優雅に口に運んだ。その時、
「ペーン・ペーン・ペーン……」
と、店内にある古風なペンギン柱時計が鐘を鳴らした。
「あら、もうこんな時間。そろそろ生徒さん達が来る頃だわ。急がなくちゃ」
そのペンギンは、この店の店主、貴族貴子(きぞく・たかこ)である。貴族は、ゆったりと優雅に立ち上がった。脂肪がたっぷりと乗った体はいかにも裕福な中年女性といった趣だ。貴族は、黄色い髪を物憂げにかきあげた。
貴族はロイヤルペンギンである。ロイヤルペンギンとは、中型のペンギンで、白い顔と頭頂部の黄色く長い髪(飾り羽)が特徴だ。イワトビペンギンやシュレーターペンギンとは親戚であり、同じく黄色い飾り羽を持つタイプではあるが、彼らのロックでハードな印象とはかなり異なる。なぜなら、ロイヤルペンギンの飾り羽は、イワトビペンギン達のように、逆立ってはいないからだ。飾り羽というより「髪」といった印象に近い。しんなりとした長く黄色いその髪は、ロイヤルペンギンの赤い太めのクチバシの付け根辺りから頭上に向かった細い一帯のみに生えている。また、色黒の顔が主流のペンギンの中では珍しく、ロイヤルペンギンは色白の顔を持つ。白い顔を持つペンギンは、ロイヤルペンギンとヒゲペンギンの2種だけなのだ。
貴族貴子は、そんな自慢の色白の顔の右頰に右フリッパーを当て、左フリッパーで腹を包むようにしなやかに回した。貴族的ではあるが艶かしい大人のメスの魅力が満ちている。
「今回の参加申し込み書はどこだったかしら……」
しばらくして、貴族は思い出したように丸い尻をふりふり、カウンターの奥の棚に近づき、中から書類を取り出した。
「今日のお教室の生徒さんは4人だわね」
カウンターには上質な紅茶の芳香が濃く漂う。食器棚には、様々な種類の豪華なティーカップが並んでいる。貴族が営むロイヤル紅茶館は、紅茶専門の喫茶店であるが、その他に、メス限定のマナー教室を開いている。おさかな商店街会報にも生徒募集の掲載をしていて、少人数で、しかも、年に数回しか開講しないこともあって人気の教室なのだ。そして、今日、体験1日コースのマナー教室が開講される。初心者にはぴったりのコースで、紅茶とランチがついてくる点も魅力である。
「こんにちは……」
そんなロイヤル紅茶館に一人の小さめのペンギンが入ってきた。随分と緊張をしているらしく、おずおずとした様子だ。腹に沿った太いラインとドット柄が印象的なペンギンである。
「あら、いらっしゃい。今日の生徒さんね。あなたは分堀戸(ふんぼると)ルトトさん……ですわね?」
以前、小石工場で働いていて、現在はパワーストーン職人に転身したフンボルトペンギンの分堀戸ルトトである。やせ細っていた体は、ほどよく太り、可愛らしいペンギンとなっている。
「えぇ、そうです」
ルトトは貴族に優しく話しかけられ、少し安心したようだ。
「もうすぐお教室が始まる時間なのに、まだ皆さんいらっしゃらないのよ。困ったわぁ」
貴族は、全く困った様子もなく言った。すると、それに呼応するかのように、ドアが開き、数人のペンギンが店内に入ってきた。
「ロイヤル紅茶館に来るの、久しぶりだわぁ」
よく知った顔……カチューシャ屋兼アイドルの慈円津サエリ(じぇんつ・さえり)である。後ろから子供のジュリーを連れた妻の順子が地味にひっそりと続く。
「あら、慈円津さん。ええと、奥様の順子さんがお教室に申し込んでいらっしゃるのね?」
微笑みをたたえた貴族は、順子に向かって話しかけた。
「そうよ。でも、私もついでに受講しようかと思って」
代わりに答えたのは慈円津である。その言葉を聞いた貴族の眉間に深いシワが寄った。
「……!」
おもむろに、貴族は慈円津の顔にクチバシを近づけた。クチバシというよりクチバシの上部にある鼻を近づけたのだ。小さな鼻腔は、幾分広がっているように見える。貴族は、クンクンペンペンと慈円津の顔を嗅ぎだした。表情は険しい。全く貴族的な雰囲気は発せられていない。発せられているのは、威圧感のみだ。さすがの慈円津も、その堂々たる貴族的威圧感に文句も言えずされるがままである。貴族の鼻は、慈円津の顔から下へ下へと移動していった。表情はますます険しくなる。そして、臀部まで来ると、貴族は慈円津の尻尾をむんずとフリッパーで掴み高く押し上げた。
「キャッ!」
貴族は、露わになった慈円津の尻尾下に自身の鼻を躊躇なく近づける。
「オスくさっ!」
慈円津の尻尾を勢いよく放すと、貴族は素早い動きで飛び退き、フリッパーで鼻を押さえた。
「はいっ!不合格っ!」
貴族は、フリッパーで慈円津をビシリと差した。いかにも臭いといった様子で、しっかりと片フリッパーで鼻を押さえたままである。尻を嗅がれた慈円津はたまったものではない。
「なにっそれ!セクハラよ!」
毛を逆立ててペンペンと怒っている。そこに、妻の順子がポツリ言った。
「サエリは最高に素敵なオスなんだから仕方ないわ……」
その一言で、慈円津の怒りは一気におさまった。逆に「やだ、順子ったら」とまんざらでもない様子である。
「順子だって素敵よぉ~」
そんなイチャイチャペンペンした二人に、ためらいなく貴族が割り込んできた。
「順子さんは、さぁ、こちらに。ジュリーちゃんは、そのオスくさい慈円津さんに預けて帰ってもらって。さぁさぁ」
慈円津は、またムッとした様子ではあったが、
「……ったく……!おっぺけぺーがっ……」
とジュリーの手を引いて、促されるままに店のドアを開けた。
「わっ!!」
ドア開けた慈円津は、目の前のものに不意を突かれて体が固まってしまった。
(つづく)
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第5章 ロイヤル紅茶館 マナー教室(1)、いかがでしたでしょうか?
見分けがつきにくいペンギンの性別を鼻で嗅ぎ分けるロイヤルペンギンの貴婦人、貴族貴子さんの登場です。ロイヤル紅茶館で果たしてどんな教室が開催されるのでしょう?ちなみにロイヤルペンギンは地球では南極域に生息し、ニュージーランドの近くのマッコーリ島(オーストラリア領、世界自然遺産)のみを繁殖地とすることで知られています。しなやかで柔らかそうな冠羽といい、白い顔をはじめ全体にやや色素の薄い羽毛にクチバシと足の赤みが映えるカラーリングといい、とても上品な印象のペンギンです。残念ながら日本にはいないのですがペンギン好きとしては会ってみたい、ここホドヨイ区での活躍が見られるのは嬉しい限りですね。次回もどうぞお楽しみに!
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