圜悟和尚の「碧巌録」復刊にあたって(出典:碧巌録「重刊圜悟禅師碧巌集疏」)

圜悟和尚が雪竇和尚の「ポエム百選(雪竇頌古)」の解説を実施して、その真意を禅を学ぶ者たちに示してみせたのは、禅師としての王道と言えるだろう。

妙に気の利いた返しをする弟子が増えたので密室で個別に尋問したところ単に「碧巌録」の受け売りをしていただけで何もわかっちゃいないことが判明したため、大慧和尚がブチ切れて「碧巌録」を版木ごと焼き捨ててしまったのは、禅師としての方便と言えるだろう。

「碧巌録」とは偉大なる師匠たちの教えが詰まった書物だ。
しかも圜悟和尚と大慧和尚の二人の禅師が(やり方は違えども)親しく関わったものだから、内容に問題などあろうハズがない。

今般、大慧和尚の書簡集と圜悟和尚の語録を刊行するにあたり、長い間絶版状態にあった「碧巌録」を復刊させる。

これはまさに夜道をゆく人に辺りを照らす灯りを渡し、外洋を航海する人に方位磁針を渡すようなものではないか。

頭の働きが鋭い人たちはもちろんのこと、鈍い人たちでも「ああ、そういうことか!」と難問に対するヒントが得られ、読む人の人格が円満なものとなってゆくのだ。

なんと素晴らしいことだろうか!

繰り返しになるが、二百年もの間「碧巌録」や雪竇和尚のポエムが世の中から忘れられていたのは大慧和尚がそれを焚書にしたからだ。

ただ、そんな大慧和尚だって十七歳の時に雲門和尚や睦州和尚の故事から得たという悟りは、(人生経験に裏打ちされた悟りではなくて)書物で学んだだけのものであったハズ。

誰かの後ろを黙ってついていくだけでは、なかなか深いところまで悟るのは困難だ。

間違った使い方をする人がいるからといって、後々の人たちを導く糸を断ち切ってよいわけがない。

ものごとをちゃんと理解した人であれば、「碧巌録」そのものに害があるなどとは決して思わぬハズ。

金剛経には「教えは川を渡るためのイカダのようなものであって、渡り終わったならば捨ててゆくべきものだ」と書かれているが、文字を使って書かれた「碧巌録」は、まさしくそのようなものではないか。

過去からの因縁は相互に影響しあいながら運命を紡ぎだし、かつて滅びたものが今蘇る・・・ などと言うとちょっと大げさだが、要するに今回の復刊は私の老婆心から出たものだと思っていただいて構わない。

現代の言葉で書かれた書物がなければ、現代の人が昔のことを理解するのは不可能だ。

維摩経の主人公である維摩居士は「たったひとつの、ほんの小さな灯火でも、それを使えば百、千の灯をともすことができる。いずれ灯は満ち溢れ、遂には全ての暗闇を打ち消す時がくるが、それでもその灯はなくなることはない。これを『無尽灯』と名づける」と言った。

私はこの「碧巌録」を復刊することで、無尽灯をともし続けていきたいのである。

<圜悟和尚の「碧巌録」復刊にあたって 完>


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