別訳【夢中問答集】第一問 もうかりたい! 1/2話

<<別訳【夢中問答集】>>

<筆者より>

今回より「夢中問答集」の超訳チャレンジを開始いたします。

「夢中問答集」とは、室町時代が始まってすぐの頃(1342年)に出版された足利直義(ただよし)と夢窓国師による問答集です。

足利直義とは室町幕府をひらいた足利尊氏の弟、夢窓国師とは京都の天龍寺を始め数々の庭園設計でも知られる超有名な禅僧のことなのですが、原典を初めて読んだとき、歴史上の人物の思想上のホンネがここまで赤裸々に記されているということに感銘を受けました。

ひとことで言うならこの書物は、悩める副将軍であった足利直義の直球勝負の質問に対して夢窓国師がいろいろな角度から回答したものを記した「Q&A集」なのですが、対話が進むにつれて内容が深化していくその様は、ソクラテスとその弟子による対話(ディアロゴス)を彷彿とさせます。

足利直義の切実な質問は実に九十三度におよび、夢窓国師はその都度、仏教思想を駆使して「真実の法門」を開こうとします。

「夢」とは何か? そしてその中で交わされる問答とはいったい? そして夢窓国師が開く「真実の法門」とは何か!?

室町時代のディアロゴスの軌跡が、七百年後の今に甦る!

どうぞご期待くださいませ。

※新しい試みとして、随時AIによる挿絵を入れていきます。


第一問 もうかりたい! 1/2話

足利直義:さて和尚さま、ひとつ教えてくださいませ。仏さまは「全ての人々の苦しみを取りのぞいて、楽をさせてやるぞ!」と宣言したということになっているハズですが、お話を聞いてみると「『もうかりたい』などと決して願ってはいけない」というような話ばっかりです。

商売だろうが宝くじだろうがギャンブルだろうが、とりあえずもうけることができれば最高に「楽」になれると思うのですが……

こりゃまた、いったい何故なのでしょうか?

夢窓国師:ああ、その話ね……

だいたい世間並みの「もうけ」を求めるような連中が何をするかというと、商業や農業に励んだり、アレコレと経営戦略をめぐらせたり、発明工夫にいそしんだり、はたまた日々勤勉にサラリーマンをやったりとかいうのがほとんどなのじゃが、結果はといえば、一生涯かけて身も心もすり減らして頑張ったわりには、あんまりたいしたことがないというのが関の山じゃないのかな?

たまたまうまくいって「やったー! 幸せハッピー!」と思うことがあったとしても、溜め込んだ財産は火事で焼け洪水で流され、ドロボウに盗まれ役人に奪われるのがオチ。もしそういったことが一切なかったとしたところで、どうせアノ世までは持っていけない。

挙句にほとんどの場合、無理してもうけようとする段階で大なり小なり悪いことをしていたりするものだから、生まれ変わった先にもロクな影響がありゃしない。

これほど「ハイリスク・ノーリターン」な話は他にないとは思わんか?

そのぐらいのことは、ちょっと考えてみればわかりそうなものじゃが、まるでわかろうともしない。そりゃ「世渡りがヘタだから貧乏なんだ!」などという勘違いも生まれてこようというものじゃ。

よいか? そもそも原因がないところに結果はあり得ない。この場合の「原因」とは、決して昨日今日ちょこちょこっと身につけた小ざかしいビジネススキルなどではなく、前世からコツコツと培った「豊かになる」ための行動や努力が、今ようやく効果を発揮するというレベルのものじゃ。

わかるかな? 「スキルやテクニックが不足している」から貧しいのではない。「根が貧しいヤツ」だから貧しいのじゃ。

ワシがそんなことを言うと、こう言って反発するヤツもおるかも知れんな。「違います! 私がビンボーなのは、給料が不当に低いからです! 評価の仕組みが間違っているのです! 私は経営陣に対して能力の『正当な評価』とそれに見合った賃金アップを断乎として要求します!」、とか、「あの仕事が成功したのはオレのおかげなのだ。なのにあの野郎! 手柄を横取りしやがって! とんだビンボーくじもあったもんだ…… まったく、やってらんねぇぜ!」、
とかな。

もう一度言うぞ。「評価が不当だから給料が低い」のではない。「他人が横取りするから手柄が立てられない」のではない。そういう運命じゃからそうなるなのじゃ。

それではなぜ、「正当な評価が得られない」「手柄を横取りされる」ような運命になったのじゃ?

それは他人のせいでも環境のせいでもなく、ソイツ自身が招いたに他ならない。

「運命」というものはな、外から来るのではない。当の本人が、嘆いたり騒いだりしながら招き寄せた結果に過ぎないのじゃ。

じゃあ、どうすればよいか? いちいち「損した! 損した!」とか「ビンボーだ! ビンボーだ!」とか騒いで金持ちをねたんだり恨んだりしないことじゃ。

そういった愚にもつかない「損得勘定」を完全に忘れることができた時にこそ、身も心も豊かになっている自分に気づくことができるというものなのじゃ。

仏教で「もうかりたいなどと願うな!」と教えているのは、つまりはそういうわけじゃよ。決して「オマエら全員、死ぬまでビンボーしとけ!」と言いたいわけではないのじゃ。

―――――つづく


☆     ☆     ☆     ☆

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