ダルマが来た意味 ~龍牙和尚編 4/5話(出典:碧巌録第二十則「龍牙西来意」)

龍牙和尚は翠微和尚に「祖師西来の意味は?」と尋ねたら禅板を求められたので渡したところ、その禅板で叩かれました。

龍牙和尚ほどの実力者であれば禅板を求められた時点で翠微和尚がそれで叩くつもりであることを見抜いていたハズですが、なぜ回避しなかったのでしょうか?

恐らく彼は、熟慮の末、(それが正しいかどうかはともかく)敢えて翠微和尚の芸風に乗っかって叩かれる道を選んだのでしょう。

臨済和尚のところで同じ質問をしたら座布団を求められたので渡したところ、やはりその座布団で叩かれました。

翠微和尚と臨済和尚は別の師匠のもとで修行をしてそれぞれ異なる芸風を身につけていたにも関わらず「祖師西来の意味」に対する反応が示し合わせたかのように同じだというところに、昔の師匠たちの本気度をうかがい知ることができます。

その後、とある寺の住職になった龍牙和尚は、弟子から「和尚は結局、翠微和尚や臨済和尚の回答に満足されたのでしょうか?」と尋ねられて、「満足はしたが「祖師西来」の意味はなかったなぁ。」と答えました。
これこそ「ぬかるみの中にトゲを隠している」というヤツです。

彼は結局洞山和尚の流れを継ぎましたが、他の、例えば臨済和尚の門下に入っていたら、必ずやまた別の芸風を身につけていたことでしょう。

私ですか? もし私が龍牙和尚だったなら、弟子からの「翠微和尚や臨済和尚の回答に満足したのか?」という質問に対しては、「納得はしたが、満足はしなかったよ。「祖師西来」の意味もなかったなぁ。」と答えるでしょうね。(笑)

さて、大梅和尚は「祖師西来の意味は?」と尋ねられて「意味なんかないよ!」と答えたそうです。

これを聞いた塩官和尚は「棺桶ひとつに死体がふたつときたもんだ!!」と言い、それを聞いた玄沙和尚は「ほう、塩官和尚は冴えてるね!!」と言い、それを聞いた雪竇和尚は「それなら死体は三つだね。」と言ったとか。

ここで読者の皆さんたちにお願いしたいのは、「(祖師西来に)意味なんかない」というのをそのまま言葉通りに受け取っておさまりかえることだけは避けていただきたいということです。

発せられた語句の「意味」ではなく「意図」を探求して理解すればそれは死ぬまで自分のものとなりますが、そうでなければ世界中の人どころか自分ひとりですら救うことができませんので。

龍牙和尚が「「祖師西来」の意味はなかった」と言ったのは、彼なりにベストを尽くしてのことですが、洞山和尚は「始めるのは簡単だが、それを続けるというのが一番難しい」と言いました。

昔の人は今どきの人たちよりも遥かに重く一句一句を受け止めていましたので、言葉の持つ「前後の文脈」「方便と真実の区別」「知識としての側面と行為としての側面」について常に検討を欠かしませんでした。

ただ、それらは状況に応じてコロコロ入れ替わるものですので、いくら龍牙和尚が禅の道の達人だったとしても、後になってみてイマイチな感じになってしまうことがあるのは仕方のないことなのかも知れません。

―――――つづく

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