足利直義:和尚は先ほど「本質=仏教の神髄」と「手段=教導テクニック」の区別について話されましたが、両者の区別について、もう少し具体的に教えていただけますでしょうか?
夢窓国師:和歌の世界では「神髄」「手段」のことを「意」「句」と呼んで区別しておる。
例えば、「あの歌は、言葉ヅラはキレイだけど中身は空っぽだよね」とかいう意味で「句はやさしげだが、意がまずい」と評するような感じじゃ。
そして禅の世界には「上向き」「下向き」「あっち」「こっち」「押さえ込む」「泳がせる」「活かす」「殺す」などの様々な教導テクニックがあるのじゃが、言うまでもなくこれらはみな手段に過ぎない。
これらの教導テクニックの内容をしっかりと覚えて人に説明できるようになることが仏教の神髄だと思い込んでいる連中もおるようじゃが、そんなものは全て手段であって本質ではないのじゃ。
こういうと「いや、手段も本質の一部なんじゃないですかね?」などと言うヤツがおるが、手段はどこまで行っても手段であって、本質ではない。
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