別訳【夢中問答集】第三十七問 公案に取り組むのは本質に迫るため

足利直義:初心者は小賢しいテクニックではなく本質に取り組むべき」とのことですが、禅の世界では初心者にまず昔の偉い人の言行録である公案に取り組ませたりします。

これって文字通り「句」に取り組ませていることになりませんか?

夢窓国師:昔の人の言行録に取り組ませたからといって、直ちに「句」に取り組んでいるということにはならない。

昔の人の言行録を見て、それがどの教導テクニックに分類されるかを考えるようなのは、確かに「句」に取り組んでいるといえるじゃろう。

ただ黙って壁に向かって座禅を組んでいたとしても、頭の中は教導テクニックのことで一杯だったとしたら、それもまた「句」に取り組んでいるのじゃ。

逆にそういった事前知識や先入観を全て捨てて取り組むならば、それは「意」、つまり本質に取り組んでいるといえる。

仮にその公案がどの教導テクニックに分類されるかわかったとしても、そこに留まらずに「なぜそんなことをしたのか」について徹底的に考え抜くのであれば、それは本質に取り組んでいるといえるのじゃよ。

そして「なぜそんなことをしたのか」について理解した上であれば、人に対してその公案の教導テクニックについて語っても何ら問題ない。

そのぐらいのレベルでなければ他人を教化することなどできんしな。

「昔の人の言説を鵜呑みにしてはいけない」というのはつまり、そういうことじゃ。

そしてそれは何も我ら禅宗に限らず、仏教の他の宗派はもとより、儒教や老荘思想、さらには外道や世間一般の言説についても同じことなのじゃ。

今どきの連中で、本当に世のため人のために尽くそうなどと思っているヤツはほとんどおらん。

単に人から褒められたい、威張りたいという欲だけで禅やらその他の宗派やらを学ぼうとしておる。

そしてその中でちょっとだけ理解が進もうものならドヤ顔全開で世間のアホどもにウソばっかりつきまくり、賛同してくれる人がいようものなら「ウム、チミはなかなか物事がわかっておる」などと言って胸を張る。

・・・とんでもないことじゃな。

昔の人が「初心者はまず本質に取り組め!」と言ったことの意味をよくよく考えてみろというのじゃ!

まぁ、そんなことも本当は言わずもがななんじゃがな。

昔の人は言ったよ。

「本質的なことを知れば知るほど何も言えなくなり、無理に言おうとすれば本質が損なわれてしまう。とはいえ、言語を捨ててしまうわけにもいかない。実に難しいところだ・・・」、とな。



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