クドいようじゃが、最近の連中ときたら「仏教を信じています!」などと言ったところで結局は世間並みの名誉や利益を得たいだけというのがほとんどじゃ。
全くもって世も末じゃな・・・
もうちょっと専門的にやるために出家して僧侶の身なりで仏教を学ぶというのでよくよく聞いてみると、なんのことはない単に世間的な出世をしたいだけだったりする。
そんな連中が「自らが生死の苦しみから脱するため、そして人々を救うため」の心の修行などをするわけがない。ただ専門的な知識を得て自己満足するだけに終わってしまうのじゃ。
そんなことだから知識が増えれば増えるほど「オレ様は偉いんだ!」的な慢心が増すばかり。
こら辺のボンクラどもは深く考えることなく「オレ様は偉い!」と思っているだけじゃが、なまじ仏教を学んだ連中は、その上に「オレ様はたくさんの知識があるから偉い!」というのが足されてしまっておるのじゃからまことに始末が悪い。
だから口先では仏教の教義についてペラペラしゃべることができても、その言動はといえばそこら辺のボンクラと変わらないのは当然じゃ。
大工仕事の理屈を知り抜いていたとしても、材木を削れずクギも作れないというのでは、とても大工とは呼べない。
「頭で理解するのではなく行動で示せ」というのはそういうわけじゃ。
大工の家に生まれた者のごとく、学んだことを行動で示せるように訓練を怠らずにおるならば、儒教・仏教のいずれにしたところで先達に恥じないレベルになれるハズ。
たとえ究極の解脱まで至れなかったとしても、そこら辺のボンクラどもよりは無自覚からくる慢心は抑えられるじゃろう。
なのに今どきの連中ときたら人よりちょっとだけ知識があったが最後、人格の歪みを正そうともしなければ、行動が軽薄なのを恥じることもない。
世の中、「教義について縦横無尽に語れても人格は最低」なヤツばかりになるのは当然のことじゃ。
昔の人は言ったよ。「1メートルの長さについて語っているヒマがあるなら、まずは1センチ前進せよ!」、とな。
だからこそ、禅宗の師匠たちはみな口をそろえて「つまらぬことを考えているヒマがあったら、とにかく自分で手足を動かせ!」と言ったのじゃ。
・・・この頃の禅宗の学者どもは書物を読んで論文を書くのが仕事だと思い込んでしまっていて、デキのよい論文が書けたら真実の悟りが得られていないことなどそっちのけでいい気になっておるようなのばかりなのじゃが。
「教えは伝わっているのに、行動が全く伴わない」というオマエの批判は全く正しい。
実に嘆かわしいことじゃがな・・・
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