別訳【夢中問答集】第四十一問 世間と折り合いをつける方法とは? 5/5話

近ごろ儒教と仏教の融合を唱えて物議を醸した中峰という和尚がおるが、彼の主張の大半が世の人々の日常に対する認識の歪みを正そうとするものなのも、この二種の「行」と同趣旨じゃ。

だというのに小賢しい連中は「あんな異端者の言うことを聞く必要はない。あれは禅宗ではなく儒教の話だ!」などと悪口を言う。

禅宗は、他の宗派のように予め指導方法をパターン分けしておいてケースごとに当てはめて実施するようなことはない。

ある事柄に対して「白」と言ったものを別の機会には「黒」と言うなど、臨機応変・千変万化な対応で人々の「思い込み」を打ち砕こうとするのじゃ。

我らの先輩は「きちんと理解すれば悟りの境地を楽しめる。さもなければ世間に流されるばかり」と言ったが、実によく言ったものじゃ。

どれだけ悟りの極意を語ったところで、聞き手が理解していなければ月並みな教訓にしかならない。

逆に月並みな教訓を語ったとしても、聞き手にハッと悟るところがあるならそれはもう悟りの極意なのじゃ。

環境に心を動かされることがないだけで満足していたのでは「何もしなくても衣食住に困らず病気になることもない」という世界の北の果ての国の人々の域を出ず、さらに頑張ったところで寿命が八万年とか四千兆年とかの天上の人々の域を出ない。

いわゆる「羅漢(らかん。仏教修行者の頂点)」と呼ばれる人たちは「貪り・怒り・愚かさ」を完全に断ち切って輪廻転生の渦からも脱出できておるのじゃが、まだ「究極の真実」には到達できていない。

円覚経に「心が動かされるのは迷いだが、心が動かされないように頑張るのもまた迷いなのだ」と書かれておるのは、まさしくこのことを指しておる。

・・・まぁワシは「まずは心の中で世間と折り合いをつけることで修業の助けにしよう」という考えまで否定するつもりはないがの。

とはいっても、心の中で世間との折り合いをつけて修行に専念できるようになったとしても、その修行が「悟り」や「成仏」、また「神通力」や「弁証法的な学問の完成」を求めるものだったとしたならば、永遠に「究極の真実」にたどり着くことはない。

だからこそ、達磨大師は三番目の「無所求行」を立てたのじゃ。

金剛経に「私の『教え』など捨てちまえ! 私の『教え』以外のものなど、なおさら捨てちまえ! 」と書かれておるのも同趣旨じゃ。

だからといって禅宗の目的が「何も求めない」ところにあるのかといえば、それもちょっと違う。

あれこれと求めまわる心が静まったならば、右も左もなく、どんな境遇にも悩まされることがなくなり、悪魔も外道もつけいるスキがなくなる。

この境地に至ると、起きている時と寝ている時の区別もなければ、覚えるとか忘れるとかの区別もなくなる。

これこそが第四の「称法行」の境地じゃ。

・・・などというといかにももの凄く聞こえるが、これはほんのスタート地点なのであって、ゴールではないということは肝に銘じておいてくだされよ。


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