別訳【夢中問答集】第三十三問 真の安らぎとは? 1/2話

足利直義:禅宗にしろそれ以外の宗派にしろ、様々な教えをすっかりカンチガイしてそのまま凝り固まったような人は、それは確かにダメだろうと思います。

しかしですね、膨大なテキストを読んでも言葉上のことにとらわれず、禅の手法をきちんと学んで自律神経失調とかに陥らないような人、こういう人はアリなんじゃないですかね?

そういうのは全部「ダメだ」というのであれば、その上で「真実を悟った人」なんてそこら辺のアホウと変わらないように思うのですが・・・

夢窓国師:こらこら、またすぐそうやって思いつめる・・・

「真実の境地」にはアホとか賢いとかの区別はないのだと、先程から何度も言っておろうが!

本当はないにも関わらず、「アホ」と「賢い」の区別をつけたがる。
それを「アホウ」と呼ぶのじゃ!

本当に賢い人は、決してそんな区別はしない。
もちろん、「オレって賢い!」などということは考えもしない。

「オレは本当は賢いんだけど、それをそのまま主張するのはちょっとアレなので、ここはひとつ謙遜しておこう」、などというのとも違う。

例えば、人は健康である時は医学とか薬とかは不要だが、一旦調子を崩したとなったら、これはもう俄然、医学の出番じゃ。

医者は病人を見て、それぞれの症状に合った薬を処方する。

症状がひとつではないものだから、治療方法は実にバリエーション豊富なものとなる。

しかし、治療方法がどれだけ千差万別であるといっても、それらの目的はたったひとつ、病気にかかる前の状態に戻すということに尽きる。

病人が医者のところへ行くのは病気を直してもらいたいからであって、決して医学を学びたいからではないということはわかるじゃろう?

医者の治療によって病気が治った時、そこに安らぎが訪れる。

この時「医者のお陰で安らぎを獲得できた」とか考えがちじゃが、よく考えてみれば、「病気にかかる前の状態に戻してもらった」だけのことであり、「医者が安らぎを与えてくれた」ということではない。

それでは医学を極めた人のことを「心の安らぎを得ている人」と呼ぶかといえば、それもまた違う。


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