座禅修行は禅宗の専売特許ではない。
浄土宗でも密教でも座禅がある。外道たちにもある。
いずれもじっと動かずに座り余計なことを考えないようにするという点では同じじゃが、それぞれの宗派の理想とするところを念ずることになるので内容は違う。
例えば浄土教における座禅は十六想観といって、極楽浄土の光景などをありありと思い浮かべる修行法であって、廬山の遠法師はこれのスペシャリストじゃ。
それでは禅宗における座禅とはどういうものかといえば、ただじっと動かずに座り余計なことを考えないようにすればよいというものではなく、宗教理論を考えることでもない。
座るのにカネがかかるわけではないので貧乏だからできないということもなく、力がいることではないので貧弱だからできないということにもならない。
禅宗では俗事の中にも仏法があるとするので、出家していないから修行できないということもない。
焼香や礼拝などの儀式は身体を使ってやることなので、それ以外のことをするときは中断してしまう。
お経の音読は口を使ってやることなので、他のことを話すことと並行してやることはできない。
宗教理論を考えるというのは頭を使ってやることだから、他のことを考えながら続けられない。
わかるか?
禅宗の修行というものは、身体を使ってやるものではなく、口を使ってやるものでもなく、頭を使ってやるものでもないのじゃ。
なんの難しいことがあるものか!
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