今どきの連中も「スブーティの如く悟れる」というのであれば豪邸に住んだりファッションに金をかけたりしても問題ないとは思うのじゃが、修行する気などまるでないくせにスブーティの事例にかこつけて贅沢三昧した挙句に「これが悟りへの道だ!」などと言うのは全くもってとんでもないことじゃ!
悪魔の所業といってもよいじゃろう。
庭に盛り土をして石を並べて水を流す「山水」は昔から愛好者が多いところじゃが、近ごろでは本心では「こんなもの何が面白いのかサッパリわからん・・・」と思っておきながら知人たちから「イケてるお庭ですね!」と言われたいだけで作るヤツ、また単に収集癖の強さから珍しい樹や石を集めまくって作るヤツがおる。
こういったヤツらは「山水」ではなく、「俗世間の塵」を愛しているのじゃ!
唐代の詩人の白楽天こと白居易(はくきょい)は庭に小さな池を掘り、その周りに竹を植えてその景色をめでたという。
そして彼は「竹は内側に隠しごとがないから私の友人だ。水はあらゆるものを清めてくれるから私の師匠だ」と言ったとか。
そのぐらいの心がけでようやく「俗世間の塵」とは無縁と言えるじゃろう。
逆に俗世間と関わりを持つのがイヤという理由から「俗世間の塵」を嫌うヤツもおる。
そういうヤツらはひたすら浮世離れした行動をとりたがり、なるべく人のいない山奥でポエムなどひねっておったりするのじゃが、彼らが立派な人かといえば全然違うことは言うまでもなく、そんなもので悟りを得られるわけもない。
また、修行の際の気分転換に「山水」を使おうというヤツもおる。
これは修行が目的なだけまだマシなのじゃが、「山水」と修行が別のものだと思っている時点で真実の修行者とは呼べない。
そして「山河大地・草木瓦石は全て自分そのものだ」と信じ、移りゆく四季を修行にしてしまうヤツがおるなら、そいつは「山水」を愛する修行者と呼ぶことができるじゃろう。
要するに「山水が好き」ということ自体は善でも悪でもない。
善悪は人の心の持ち方にあるのじゃ。
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