文字・言語を使わずに教えを伝えるというのは、なにも禅宗の専売特許ではない。
かつて伝教大師最澄が弘法大師空海から理趣経の解説本を借りようとした際、空海は「経典の奥儀は文字・言語などで伝えられるものではない。ただ、心から心へのみ、伝えられるものだ。書かれた文字など単なる紙の汚れに過ぎない。そんなガラクタを借りてどうしようというのか!」と言って断ったそうじゃ。
「教外別伝」が「妄想の垂れ流し」だなどとはとんでもない言いがかりじゃ!
最澄は自分の伝承リストに「「達磨大師の宗派」「天台(法華)の宗派」「円頓菩薩の戒律」「密教の宗派」ほか、と書いておる。
テキスト重視派の連中が担いでいる伝教大師その人も、また禅宗の伝承者のひとりなのじゃよ。
嵯峨天皇の后、橘嘉智子(たちばなのかちこ)は大の仏教ファンじゃった。
ある時、恵萼(えがく)という僧侶を唐の国に派遣して、馬祖和尚の直弟子で名高かった塩官斉安(えんかんさいあん)国師を招聘しようとしたのじゃが、国師は弟子の一人である義空禅師を指名して日本に行かせた。
義空禅師が来日して東寺の西院に滞在していることを知った空海は、皇后と義空禅師の間を取り持って対面の場を設けさせたのじゃ。
皇后は熱心に学んで教外別伝の宗旨についても深く理解され、嵯峨の地に檀林寺という禅宗の寺を建て、檀林皇后と称された。
そして義空禅師をその寺の住職にしようとしたのじゃが、禅師は「日本で禅宗を広めるのは、まだ時期尚早だ。これまでにも何人か我が国の先輩たちが日本で禅宗の流布にチャレンジしたようだが、私が見る限り全然うまくいっていない。私が日本に留まっても多分同じことだろう」、と言って数年足らずで唐の国に帰ってしまった。
後日、唐から送られてきた石碑には、開元寺の契元という僧侶の字で「日本に初めて禅宗を伝えたことを記念して」と書かれておったそうじゃ。
禅宗がそれほど「信用ならない」ものなら、弘法大師が皇后との間を取り持つことなどあるわけがないとは思わんか?

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