【書評】優雅に叱責する自転車 byエドワード・ゴーリー

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著者であるエドワード・ゴーリー氏の名は聞いたことがあったものの、その著作をじっくりと読んだのは始めてである。

「優雅に叱責する自転車」エドワード・ゴーリー 柴田元幸訳 河出書房新社

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ネット通販で入手したのだが、手にとって見てまずその判型の小ささに驚いた。
ちょっと手の大きな人の手のひらぐらいしかないのである。想像していたのの半分以下のサイズだ。

続いて、訳者が柴田元幸氏だったので改めて驚いた。
これは十年ちょっと昔にサントリー学芸賞を受賞した人ではないか!
(個人的な話で恐縮だが、かつて私はこの賞を主催する団体に属しており、十五年ほど前までこの賞を担当していたのだ)

内容自体は「シュール」の一言に尽きるのだが、妙な説教臭さがない分、好感が持てる。
独特のタッチの絵柄もよい。特に最初の方に出てくる大きな鳥は味わい深くて好きだ。Tシャツにプリントして着たいぐらいだ。

あまり内容について書くとネタバレになってしまうので難しいのだが、ストーリーといえば、「仲の悪い二人の前に謎の自転車(自動運転機能付)が現れ、二人を乗せて様々なイベントに出会いながら戻ってくる」というだけのものである。

自転車が「優雅に叱責する」というタイトルなのだが、自転車の発言(?)といえば、冒頭登場するシーンで「Tra-ra-ra(ブロロロロ~ぐらいのイメージだろうか?)」というのと、一番最後で「Indeed!」というだけである。

ガミガミと能弁に叱りつけるのでないあたりは確かに「優雅」なのだが、いったい誰に対して何を叱責したことになるのか?

ケンカしているとこに現れて二人を乗せるからには、「仲違いなどしている場合か!」というメッセージを彼らに伝えようとしているのであろうことは推測がつくが、いかんせん「優雅」すぎてわけがわからない。(道中の巨鳥や降ってくる雷の方がよほど雄弁である)

二人は二人で、元から履いていなかった「黄色い靴」をなくしたり、元から着ていなかった「毛皮のチョッキ」をなくしたりしていて、ますます意味不明である。

恐らく、実際のところ、なにも意味なんてないのであろう。(苦笑)

そしてまた、それでよいのだ。
この手のシュールな物語に「意味」など求めること自体がヤボなのだから。

著者ゴーリー氏の言語センスもさることながら、訳者柴田氏の翻訳ぶり(と後書き)が楽しい本なのだが、ラストの「Indeed!」を「いやはや!」と訳してあるのには感心した。

「Indeed」自体は「本当にそうだ」「間違いない!」ぐらいの意味なので、私であればここは「まったくもう!」とするだろう。

「いやはや、まったく!」のどちらを持ってくるかだけのことなのだが、どちらを選ぶかで読後感は微妙に変わってくる。(前者は嘆息を、後者は憤慨を強調する)

言霊使いを志すものとして、引き続き精進せねばと思ったのであった。

※暴風雨サロン参加企画:1666号室の北野玲さんが語る「魔の絵本(1)エドワード・ゴーリー著『優雅に叱責する自転車』」もぜひどうぞ。