カラス〜カラス、なぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ。

「妄想旅ラジオ」ポッドキャスター ぐっちーが綴るもう1つのストーリー「妄想生き物紀行 第32回 カラス〜カラス、なぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ。」

カラスはなぜ鳴くのか。カラスの勝手でしょと言われれば返す言葉はないが、それでは物事の真理を追究する学問を放棄してしまうことになる。学問だけではない。世の中すべての思考を一瞬にして停止させてしまう強い力を秘めている。なぜという問いに対してはたとえ論理的ではない考察であっても何らかの答えを提示する義務がある。可愛い7つの子があるからという理由でもいい。童謡「7つの子」に歌われる子が7羽の雛なのか、7歳の子供なのか、どちらの意味とも受け取ることができる表現は好ましいものではないが、「勝手でしょ」と言われるよりも格段に誠実である。

カラスは鳥綱、スズメ目、カラス科に属する鳥類で、多くは森などの人間と距離を置く生活を送っているが、主にハシブトガラスとハシボソガラスの2種は公園などの都市部に営巣し、ゴミをあさるなどの人間に近い場所での生活を送る。かつてはハシブトガラスが森林に、ハシボソガラスが都市部に生息していたようだが、ハシブトガラスが都市部に進出してきて、今では両種が都市部に生息することとなった。

ハシブトガラスとハシボソガラスはそれぞれ2から5個の卵を産み育てる。カラスは多くても5個の卵しか産まないとなれば、先述の7羽の雛仮説は可能性が低くなる。また、雛は孵化後1ヶ月ほどで巣立つ。7歳の子仮説は非常に怪しい。ところが、「子」とは「親」の対義語と考えると何歳になっても子は子である。両種の寿命は7から8年と考えられており、平均寿命よりも長生きした場合は7歳の子仮説の方が可能性が高い。

とはいえ、カラスが鳴く理由について7羽の雛仮説では、5羽の雛を持つ親は鳴かないのか。あるいは、7歳の子仮説では1歳の子を持つ親は鳴かないのか。こういった疑問点が生じる。私が観察する限りまだ親にもなっていない巣立ったばかりのカラスでさえ鳴いているので、当然これらの仮説は棄却される。

私の父は高校の生物の先生であった。母は絵手紙を書いていたのだが、ある時母がツバキを書いていると父は、「ツバキの花びらは5枚やで」と指摘していた。見ると力強いタッチで赤いツバキが生き生きと描かれていた。ただ、花びらは4枚であった。父はかつて写真を趣味にしていたり、若手の陶芸家をひいきにしていたりと芸術に理解がない訳ではなかったが、それ以前に生物の先生であった。母の絵は迫力があり芸術としては申し分が無い出来映えであったと私には思えたが、父からすると虚偽に映ったのかも知れない。

芸術作品において虚偽が含まれることは当然であろう。そうでなければ独創性を発揮することは不可能と言っても過言ではない。小説、絵画は勿論のこと、写真やドキュメンタリー映像でもトリミングや編集が行われ発表される。ただし、度を超したトリミングや編集はフェイクとして扱われ、芸術性さえも損なうことになりかねない。この「度」には個人差があり、父にとっては花びらの数の正確性だったのだろうと思う。

前回のサルの回でも触れたが、若い頃私はラジオドラマにはまっていた。特にファンタジーものに心を躍らせていた。ファンタジーとは超自然的、空想的、幻想的という意味であり、私を異世界へと連れて行ってくれた。ところが、ある時からこのファンタジーが心に響かなくなってしまったのである。物語に出てくる小道具が万能過ぎたり、死んだ登場人物が生き返ったり、物理法則を無視していたりとファンタジーをファンタジーたらしめている部分が気になりだしたのである。当然、ファンタジーで創作であるのだからその部分を楽しむべきなのだが、どういうわけか私の中の「度」を超してしまったのである。

この「度」は普遍的なものではない。ある時は前述のような個人の感性に依存するし、ある時は時代に依存する。1980年代を代表するファンタジー映画といえば「ネバーエンディングストーリー」だろう。現実世界で不幸が続く主人公の男の子が本の世界に吸い込まれ、本の中の世界を救う。物語のクライマックスで主人公の男の子はファルコンという竜に乗って空を飛び回るのだが、このファルコンが今見ると、どう見ても大きなぬいぐるみにしか見えないのである。初めてこのシーンを見た時は感動した覚えがあるのだが、CG技術が発展している現代においては気になるシーンとなってしまった。

童謡「7つの子」が発表されたのは1921年、大正10年のことである。当時は感性ではあまり歌詞について重要視されていなかったのか、あるいはカラスの産卵数や寿命などの科学的な知見が蓄積されていなかったのだろうか。時代が許したためこのことについて議論されることなく歌い継がれた結果、現代において「度」を超えてしまったのかと当初考えていた。

ところが、この童謡が発表された当時から7羽の雛仮説と7歳の子仮説についての議論がなされていたらしい。この曲を作詞したのは野口雨情氏である。野口雨情氏は「7つの子」の他に「赤い靴」、「証城寺の狸囃子」、「シャボン玉」なども作詞しており、その内容は直接的な意味ではなく何かを暗喩しているような歌詞が多いのが特徴である。当然、野口雨情氏も歌詞に関する議論を耳にしており、その事については「カラスにもきっと山にたくさんのかわいい子があるに違いないという気分を歌ったもので、歌ってくださる方が納得すればどちらでも構いません」といった趣旨のことを語ったらしい。つまり、「カラスの勝手でしょ」というわけである。

(by ぐっちー)

<編集後記>

※このエッセイ「妄想生き物紀行」は、ポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ」の第32回「カラス と関連した内容です。ポッドキャストはインターネットのラジオ番組で、PCでもスマホでも無料でお聴きいただけます。妄想旅ラジオは、ぐっちーさん、ポチ子さん、たまさんの3名のパーソナリティーが毎回のテーマに沿って「生き物」「食べ物」「旅」について話す楽しいラジオ番組です。

ぐっちー作「妄想生き物紀行」第32回「カラス〜カラス、なぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ。」いかがでしたでしょうか。

今回もお読みいただきありがとうございます、編集担当オーナー雨こと斎藤雨梟です。

こんにちは!

「カラスの七つの子問題」、私も実は子供の頃から気になっていました。二通りに解釈できるので悩んだのではなく、単純に意味がわからなかったのです。「七つの子がある」というのが、カラス自身に子がいる(つまり歌に歌われたカラスは親である)という意味だと気づかず、「七つの子とカラスの関係がよくわからない」と思っていました。それと、歌の最後の方の歌詞「山の古巣に行ってみてごらん」の「古巣」を、「フールス」という謎の外来語だと思っていました。みなさんはいかがでしょうか。

今回は、「勝手でしょ」よりはよほど誠実な歌を作ったと思われた詩人・野口雨情が、まさかの「カラスの勝手派」だったという衝撃的な内容。古巣を「フールス」という丸屋根のついたテラスにプールがあるという謎の建造物(当時の妄想)だと解釈してもそれも自由でしょうか、野口先生?

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さて今回も、ぐっちーさんとみなさんと、Twitterでお話したいと思います。カラスについて、「七つの子」の謎について、カラスの勝手について、超えてしまった「度」について、お話お聞かせください。参加方法はTwitterに書き込むだけ、なので初めての方も、ラジオお聴きのみなさまも、エッセイを読んでの感想、ぐっちーさんへの質問やツッコミなど、ぜひお気軽に。お待ちしています!

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