新型コロナウィルスによる緊急事態宣言はひとまず解除されましたが、まだまだ先の見えない状況は続くと思われます。育児中のみなさん、そしてお子さんたちの健康と安全を心から願っています。
今週は番外編、頂いたお便りを紹介したいと思います。
昨日、2歳の子どもとにらめっこして遊んだ時に鼻をひくひくさせてみたら、そのパーツのみを動かすことは2歳の子には出来ない動きだったようで大笑いしてました!そんな事で笑ってくれるなら何回でもやるよ~。いや、3回までですね、笑!
鼻をひくひくさせるだけで爆笑してくれるお子さん、いいですね。
そのうちなかなかそんなことでは笑ってくれない、盗んだバイクで走り出しそうになる時期もきたりするのでしょうが、やがてまた鼻ひくひくで笑えるような大人になってくれたらと思います。
もしお孫さんが生まれたら、きっとみんなで鼻をひくひくさせることでしょう。みんなで鼻ひくひく、いっそ家族の儀式として継承することにしたら良いのではとさえ思います。
「家訓、其の一。子供には鼻をひくひくさせて見せる」
悪くないと思います。その光景を想像しただけで楽しくなります。
息子が色々な言葉を覚え、話し始めた2歳頃の事。
本を見ながら「これは『ドラ○もん』」と教えていました。
それを聞いた息子、ドラ○もんを指差しながら「ぼ」。
え?と思う私をよそにまたドラ○もんを指差しながら「ぼ」。
まさか五文字の『ドラ○もん』が『ぼ』の一文字で表されてしまうとは、しかも『ぼ』の一文字で『ドラ○もん』となんとなく伝わってくることに驚きと感動と笑いが。
そこから成長するごとに『ぼ』→『まも』→『どまいもん』と変化していき、最終的には『ドラ○もん』と発音できるようになりましたが、あれから10年ほど経った今でも初めて『ぼ』を聞いた時の衝撃が忘れられません。
とてもよくわかります。自分の子供の場合は「アンパンマン」のことを「マン」→「アンマン」→「アンマンパン」と最後まで頑なに正解を出さず、機嫌が悪くて暴れている時に初めて「アンパンマーン!!」と絶叫しました。ちなみに機関車トーマスは「とぅっと」です。
しかし「ぼ」はなかなかすごいと思います。なにしろ「ドラえもん」(ですよね?)の中には「ぼ」は一文字も入っていません。
しかし、ドラえもんの「ド」と「も」の共通の母音「お」がこの言葉の音としての重要なアクセントになっています。感受性の豊かなお子さんはこの部分を感じ取っているものと思われます。こういう感覚は表現において実はとても大切な部分だと自分は思っています。
というのも音楽、特にロックやポップスにはこういう要素が欠かせないものだからです。
例えばあるメロディーに歌詞をつける場合、作曲者はどうしてもその部分(例えばサビの終わりなど)に対して母音がこの音じゃないと気持ちが悪い、イメージが違ってくるというような場合がよくあります。
特に洋楽ばかり聴いて育った自分にとっては、基本的に歌詞はリズムと一緒に韻を踏んでいる(今でいうリリックとライムというやつです)イメージが強く、その反復の印象の強さが曲に引き込まれる重要なポイントになっています。
そこで、その音が入っていながら詩としての役割を果たす言葉を探していくということになり、その試行錯誤の中から新しい広がりが生まれてきたりすることもあるのです。
ロックやポップスにおいての作詞というのは音と切り離すことが出来ないので、ある意味かなり難易度の高い感覚的な作業です。
「ドラえもん」を表現したいのに、音符はひとつしかない。その場合にお子さんが選択した「ぼ」というのはほとんど必然的に選択された一言であり、だからこそ「ぼ」のみでもそれが「ドラえもん」であることが理解出来るのです。
よく語られる「行間を読む」というのはまさにこういうことではないかと今自分は感じています(行間ないですけど)。
3歳過ぎても卒乳してくれない末っ子
わさび攻撃してみた
かなりの刺激があったのか、超変顔してました
2回目で諦めました
子供ながら辛かったんだろうなと
飲むって聞いてもイヤイヤされてちょっと寂しかった母でした
わさびとはなかなかに過激なものを使用しましたね。日本国外では武器として使用の可否が問われている程に攻撃力があるもの(想像です)なのできっとめざましい効果があったのではと思います。
それもこれもお子さんの卒乳のため。これでもう飲んでくれないであろうというさみしさと、未来を考えて揺れ動くアンビバレントな感情を抱えながらも苦渋の決断に踏み切ったこの方の勇気に敬意を表します。
大人の階段を昇る過程で、何かを卒業する度にこのお話をして寿司や蕎麦などにたっぷりわさびを添えて食べると、その度に新しい出発を感じさせる良い刺激になるかもしれません。変顔するかもしれませんけど。
長男は二歳を過ぎると単語があれこれと出るようになりました。段々と質問を投げ掛けるようにもなりました。ただ、
「まま、これなあに?」
とテレビ画面にケーキがでてたので
「あれはケーキよ」
というと
「ちがうよ」
と言うのです。じゃあなんだと思う?とこちらから聞いても答えません。この「不正解だと言う割に正解を教えない」という、悪質なクイズ番組司会者からの意地悪のようなやり取りを毎日続く時期があります。最初は真に受けて落ち込みましたが、後々これは「親のスルー力」が試され、鍛えられるのだなぁと思いました。今後、このスルー力は大いに役に立つことになるのです。
すごいです。これは人の気持ちを揺さぶるかなり高度な心理的なテクニックです。2歳にしてその技を会得しているのには驚きです。
お子さんの気持ちを察するに、
「ケーキであることくらいは知ってる、何ケーキなのか聞いてんだよ」
「自分が知っているケーキはこんなものではないが、それをどう説明して良いのかがわからない」
「ケーキという固定概念でこの食べ物を括るのには賛同できない。まずはケーキと呼ばれるものの定義を明確にして欲しい」
など、様々なことが考えられますが(考えすぎ)、本当のことはお子さんにしかわかりません。
そこで様々な事柄を受け流す能力、いわゆる「スルー力」が鍛えられるというのは素晴らしい考え方だと思います。「正面から受け流す」力。これは育児のみならず、あらゆる困難な状況をやり過ごすために是非身につけておきたい力のひとつだと思います。
自分にはわからないことを無理やり解決しようとしないという選択は、場合によっては必要なことだと思います。子供にだってそれぞれ、自分で答えを見つける自由と責任があるはずです。
特に子育てにはわけのわからない無理難題が次々に降りかかってくるので、全てに正面から向き合っているととてもやっていけません。正直、自分はわかっていることでさえかなりスルーしていると思います。
最も密な関係にある養育者と子供の間にも、その時期によってある程度の心のソーシャルディスタンス(←時流に乗って使ってみた)は必要だと自分は思っていますが、同時にその兼ね合いは実に難しいと感じています。過保護や過干渉は子供の成長過程に大きな影響を与えるということはよく言われていますが、適度な保護と干渉は必要不可欠だからです。やはり何事も「良い塩梅」が見つけられたらいいですね。
今回はこの辺で。
かなり長くなってしまい、他にも紹介できなかった素敵なお便りもありますが、引き続き子育ておもしろ体験談、募集しています。何卒よろしくお願いします。
(by 黒沢秀樹)
※編集部より:ご紹介できるのは一部ですが、全部のお便りを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。子育ておもしろ体験談はもちろん、連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム>