潮時 第四話

夕刻の鹿島槍ヶ岳@冷池山荘

【第四話】

最初は、教育関係の営業職に就いた。ノルマは厳しかった。
新卒で配属された日、壁に貼られた営業成績のグラフを見て、眩暈がした。あれと同じものを子どもの頃に見た。

模造紙の自分の名前のところに競うようにシールを貼り、宿題のドリルの進捗状況を示す。勉強が苦手な子や家で勉強できる環境にない子は、取り残されていく、あの居たたまれない感じ。
小学生のさおりはシールを貼りながら、こんなレースを強いる教師を呪った。そして、自分がそれに従わなければならない存在だということを思い知り、早く大人になりたいと願った。

だからまさか、大人になってからもこんなことを強いられるとは思わなかったのだ。
それでも半年は通った。今すぐ逃げ出したいけれど、自分の暮らしがかかっているレースに臨んだ。
でも、木枯らし一号が吹いた日の帰り道、もう駄目だと思った。翌日、起きることができなかった。さおりは、会社を辞めた。

それからは数年単位で、派遣社員としていくつかの会社を転々とした。
一番求人数の多い営業職をNGにしているので、その他の職種を紹介してもらえるよう、有利になりそうな資格もいくつか取った。そうした努力が功を奏し、都内で一人暮らししながら、どうにかやっていけた。贅沢さえしなければ、食べるには困らない生活。住むところもあって、雀の涙ほどの蓄えもある。でも決して満たされることはない。
いつまで経っても、どこまで行っても、食べ物の質が上がることも、部屋が広くなることも、貯金残高が増えることも、家族が増えることもない暮らし。まるで、同じ場所でずっと、足踏みしているような毎日。

前に進みたかった。
人混みの中で埋もれながら、誰かの背中を見るだけの日常ではなく、せめて一番前で誰の背中も見ないで歩きたかった。さおりの歩きはどんどん早くなっていった。

山を登るようになったのは、ふとしたきっかけからだった。

山で育ち、山との距離が近いさおりの父は、ごく自然に山に登った。今ほど予測精度が高くない数十年前の秋の終わり、親戚と二人、北岳に登った父は、突然の寒波に見舞われ、大雪に立ち往生した。雪洞の中で三日間停滞した後、ようやく訪れた晴天の中、雪崩の不安と格闘しながら麓に下りてきた時、山登りを封印するのを決めたのだそうだ。
当時、初めての子どもが生まれたばかりだった。以後、父の中で山登りの火は消え、それとは無縁の暮らしがあった。それでも納戸の奥に、捨てられぬ思いと共に、古びて今は使いようにない帆布のザックや重くて嵩張るシュラフ、黴の付いた革の登山靴が残っているのを、さおりは知っていた。子育ても仕事も落ち着いたいつか、出番が来るのだと信じていた。

けれどもそれらは日の目を見ることなく、父が亡くなった後、処分された。雑多に入れられたゴミ袋の中に、ビニール製の透明のケースが見えた。
さおりはそれを取り出してみた。ケースの中には、ガリ版印刷で刷られたと思われる、北アルプスの登山地図が収められていた。何十年も納戸の片隅で放置されていた割に、それは少しだけ色褪せていたけれど、朽ちることも、消えることもなく、次の出番を待っていた。
さおりは、その地図の中の〝奥穂高岳〟という文字が気になった。そう言えば、生前父は、その山の名をよく口にしていた。きっと、父にとって思い出のたくさん詰まった山なのだろう。さおりは、そこに行ってみたくなった。

「奥穂? いきなりは無理だよ」

山に詳しい同僚が言った。

「そうなの?」

「最近は、高尾山しか登ったことない人がいきなり行くっていうのも聞いたことあるけど、普通はそういうことしないよね」

「へー。なんで?」

「山ってさ、グレードがあるの。難易度で」

「ふうん。難易度順に登らなきゃいけないんだ」

「いけないってわけじゃない。ただ、そのほうがリスクが少ない。山はさ、本当に死ぬからね。観光地でも突然交通事故に遭ったりすることもあるかもしれないけど、さすがに死ぬことはあんまりないでしょ? でもさ、山は死ぬの。油断してるとね、マジで」

「高尾山でも?」

「高尾山でも。意外と知られてないよね。あの山はね、年間、3000人くらいの救助要請があるの。で、その一割くらいが死亡したり、遭難したまま行方不明になってるの」

「ええっ! そうなの?」

「うん。登山者が多いの。世界一多い。年間300万人くらい。ミシュランにも載ったでしょ。だから事故も多い。別にね、エベレストみたいな山だけが危ないわけじゃないの。ああいう山は玄人の山で、普通の人は行かない。でも、普通の人が登る山にだって、危険はたくさんある。自然の中に入るってことは、そういうことでしょう?」

「ふーん」

「で、さおりちゃんが行きたいと言った〝奥穂〟は、穂高連峰の中では比較的登りやすい山ではある。でも、それでも日本で三番目に高い山なの。準備は必要。ガッツリ岩山だから、岩稜帯を浮石に足を取られることなく、安定して歩く技術が必要。3000メートル級の山なので、高山病になることだってある。何より、荷物を背負って、休憩除いて、最低でも片道9時間くらい歩き続けることができる体力や筋力、そして気力がないと登れないよ」

「9時間かあ……」

「足元悪くて怪我しても、自分で歩くんだよ」

「救助要請したらダメなの? お金、かかるの?」

「原則は無料。ただ自治体によっては請求される場合もある。民間のヘリを使ったりすると、一時間50万くらいって言ったかな?」

「えー。まじで?」

「だからね、そうならないように、山のグレードを作って、順番に体を慣らしてきてくださいね、技術を身に着けてくださいね、っていうことなの。奥穂に行きたいんだったら、まずは、近場の山からでいいからたくさん登って、経験値を上げてみたら?」

それからさおりは、暇な週末に周りの低山を登り始めた。
世界一登山者の多い高尾山は、夏の盛り以外は、いつ行っても本当に人が多くて辟易したが、其処彼処に漂う人の気配は、山を知らない間は心強くもあった。そのうち少し山慣れしてくると、人がいない山域を求め始めた。裏高尾のほうは意外と人が少なくて、快適に歩くことができた。奥多摩や丹沢の山にも通った。区民センターで開催している登山教室にも参加し、地図読みや岩稜帯の歩き方、ロープワーク、荷物のパッキングの仕方も学んだ。そして、そうした活動の備忘録として、ブログを書き始めた。

その頃になると、街での早歩き競争に嫌気が差しては山へ入り、人気のない道をコンパス片手に選んで歩いた。気づけばほぼ毎週、麻薬を求める患者のようにさおりは山を求めた。長い休みには遠征して、3000メートル級の山にも登った。さおりの原点だった、奥穂にも登頂を済ませた。山がさおりの生きがいになっていた。

【第五話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『潮時』第四話、いかがでしたでしょう。

明かされたさおりと山との馴れ初めには、「わかる、きっかけってそういうちょっとした見えない流れかも」という部分もあり、当時のさおりに成り代わって「へえ〜!」と言いそうな部分もあり。高尾山での救助要請や遭難の数にはびっくりです。人生を変える出会いから「潮時」までの道のりでいくつの山を越えたのでしょうか。遭難しかけたこともあったのでしょうか。次回もどうぞお楽しみに。

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