佐野洋子さんのこと、とりとめなく…(後半)

いつかぼくは佐野さんがエッセイや短編小説も書いていることを知った。絵本とはまた異なった世界がそこにはあり、そして、そちらもまた魅力的だった。もうラジオドラマの「さのようこ」が絵本の「佐野洋子」と同一人物であることをぼくは疑わなかった。
しかし鯨になった男女の話は見つからない。内容を明確に覚えているわけではなかったし、タイトルがわからないのは痛かった。そもそもラジオドラマ用に書かれたもので本になっていない可能性もあると思うと、必死で探そうという気にもなれない。ただ、ずっと気になってはいた。

手元に「月刊絵本」1978年4月号(すばる書房)がある。特集は「佐野洋子の世界」。長谷川集平さんとの対談が載っていて、これがすごい。これほど噛み合っていない対談というのはひとつの奇跡だろう。責任の9割くらいは佐野さんにあると思われる。一例を挙げよう。

長谷川 「今、なにに、一番興味を持っていますか?」
佐野 「あたし、精神病が好き。」

もうだめだ。こんな人はいない。何に興味があるかと訊かれているのに、「精神病が好き」。常人とは異なる会話のルールを持っているとしか思えない。

佐野さんには『ふつうがえらい』というエッセイ集がある。他の著作でも自分が凡人であるかのようなことをしばしば語っている。真に受けてはいけない。本当の凡人には「自分は凡人である」と宣言する必要など全くないのだ。誰もそれを疑っていないのだから。非凡だ、天才だと言われ飽きた人だけが凡人を宣言する。

「ふつうがえらい」佐野洋子エッセイ 新潮文庫

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鯨になった男女の話に再会したのは最初の出会いから十年近く経ってからのこと、あまり入らない書店の文庫本コーナーでだった。
『乙女ちゃん』。このタイトルには何の記憶も呼び覚まされなかった。しかし「愛と幻想の小さな物語」という副題がぼくを打った。記憶の底から遠いこだまが返ってきたのだ。
29編詰め込まれた超短編のひとつが「鯨」だった。
「いつか大金持ちになったら、と人はいつまで考えたりするのだろう。…」
すぐわかった。ああ、これだ。その場で読むのはもったいない気がして、うちに帰ってから開いた。すっかり忘れていた細部が鮮やかに甦ってきた。同時に、ラジオから流れてきた柔らかで深みのある女性の声、寄せては返す波の効果音、そして当時の自分の心情までも。あいだに長い時間と忘却を置かなければ味わえないものというのは確かにある。

それにしても『乙女ちゃん』とは、なんてタイトルだろう。29編の中の一編からとっているのだが、なぜこれを選んだのか理解できない。このタイトルを伝えると編集者が絶叫した、と佐野さんもあとがきに書いている。歓喜の絶叫ではなかったようだ。いっそ副題の「愛と幻想の小さな物語」をメインタイトルにすればよかったのではないか。凡人はそう思ったりもする。

タイトルのせいかはわからないが、この本は2004年現在(※)入手できない。1988年発行の単行本はともかく、1999年発行の文庫本も品切れとは。文庫くらい地道に長く売ってほしいと思うのは読者のワガママなのか?
あのラジオドラマを聴いたのも偶然だったし、あまり入らない書店で『乙女ちゃん』に目が留まったのも偶然だった。昨今の短い流通期間を考えると、本とのめぐりあいというのは何というか、微妙で、貴重で、不思議なものである。

「乙女ちゃん」 愛と幻想の小さな物語 佐野洋子

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※この文章は2004年にホームページ「絵本で会いましょう」に掲載したものの再録です。『乙女ちゃん』は現在(2017年)も中古でしか入手できません。復刊されますように。されますように。

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