将棋ストーリー「王の腹から銀を打て」第26回

昼食のあと、アサ子は部屋にひっこんで机に向かった。勉強するのではなく、ほおづえをついて窓の外の雨を見た。
一時から西公民館で同好会があるのだが、行く気がしない。
引き出しから公式戦ノートを出してパラパラめくってみる。
(こんなにがんばってるのに、どうして強くならないんだろう?)
ため息が出た。秋までにジュンを抜いてみせると言ったときは、そのくらい本気でやればかんたんだと思っていたのに、今は自信がなくなってきた。

アサ子は四年生の秋から冬にかけて毎朝走っていたことがある。お正月明けの校内マラソン大会に向けてきたえてみようと自分で決めたのだった。
幼稚園のころから走るのがおそかったアサ子は、無理しないようにごく短い距離から始め、少しずつそれを伸ばすことにした。その短い距離でも初めはすぐ息が切れたのに、毎朝続けるうちだんだん走れるようになった。
距離が充分になると今度は腕時計でタイムをとるようにした。タイムは着実に上がった。そしてマラソン大会ではうれしい結果が出た。アサ子は学年で五十人を超える女子の中で八位に入ったのだ。毎朝走るのはもうやめてしまったが、このときのおかげで今でも長距離には自信を持っている。

(あのときだって一カ月もしたらずいぶん進歩してたよなぁ)
思い出していると、トオルが大きな声で呼んだ。
「お姉ちゃーん」
トオルの方はこのところアサ子とは対照的に元気なのだ。ママが「最近トオル変わったんじゃない?」と真顔でいうくらいだ。
それもどうも将棋のせいじゃないかとアサ子はにらんでいる。何をやってもかなわなかった姉に、たった一つ勝てるものを見つけて、自信をつけたらしいのだ。
トオルの将棋は積極的で、どんどん攻める。前へ前へと進む。進みすぎてぽっきり折れることもあるが、勝つときは快勝だ。
おもしろいもので、一つ自信をつけると、将棋以外のことまでなんだかしっかりしてきた。
姉としてはうれしくもあるが、そうそう負けてはいられない。
(やるっきゃない、か)
アサ子はノートを閉じてへんじをした。
「今行く」

――――続く

☆     ☆     ☆     ☆

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内>


トップへ戻る