講談社サイエンティフィク 矢吹俊吉社長第4回
講談社サイエンティフィクはグループ会社の中でもやや設立経緯が変わっています。ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、自然科学分野での日本の発信力のなさ、世界レベルでの認知度の低さを嘆いておられたのを受け、親交のあった講談社野間省一社長(当時)が1970年に設立しました。
社長という生き方。社長になること、社長であること。
講談社サイエンティフィクはグループ会社の中でもやや設立経緯が変わっています。ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、自然科学分野での日本の発信力のなさ、世界レベルでの認知度の低さを嘆いておられたのを受け、親交のあった講談社野間省一社長(当時)が1970年に設立しました。
『今の若い編集者は』という人は昔からいましたね。私も散々言われた(笑)。しかし後輩たちの方がよほど優秀なんじゃないかな、上の世代の方々より。まあ優秀な人は『今の若い編集者は』なんて言いませんよ」
講談社には校閲採用で入りました。派手なこと目立つこと嫌いなんですよ。校閲、縁の下の力持ちみたいでいいなあと。ところが4年後月刊誌「現代」の編集部に異動になります。嫌で嫌で(笑)。人見知りだし編集など向くわけがないと思っていました。
9月の社長インタビューは講談社サイエンティフィクの矢吹俊吉社長です。講談社サイエンティフィクは理系専門書の出版社ですが、今回は講談社の部長時代に手がけられた思い出深いベストセラーの話からうかがいます。『聖の青春』のこと