講談社サイエンティフィク 矢吹俊吉社長第3回

「ふさわしい人にふさわしい舞台をさしあげること。編集者の仕事はそれだけ」――長い経験から矢吹社長はそうおっしゃいます。しかし「それだけ」のために日々どれほどの努力が必要なのでしょう? 講談社サイエンティフィクの矢吹俊吉社長インタビュー第3回です。


2回書き直しさせるのはダメな編集者
矢吹俊吉社長 講談社野間道場

講談社野間道場にて

「『現代』編集部に9年半いました。同じ雑誌に9年半はめちゃくちゃ長いです。
単行本に異動させてほしいと何度も直訴してやっと希望がかないました。
一人の著者と長期間つきあって読み応えあるものを作るという単行本的な仕事が好きだったんです。

ところがわずか9ヵ月後、また異動で、今度は編集長として『現代』に戻ることになります。サラリーマンってこういうもんです。それから編集長として4年3ヶ月。

『現代』は本当に長かった。感覚としては編集者人生のほとんど『現代』にいた気がするくらい。
名だたるノンフィクション作家のみなさんはもちろん、学者の方々や、司馬遼太郎さん、城山三郎さん、丸谷才一さんなど、本当に一流の著者とつきあわせていただきました。

もちろん講談社の編集長だからで、私という個人がおつきあいできるような方々ではないです。これが名刺効果ですね。

もちろん先生方は人間としてもとても魅力的で、私の名刺とつきあってるなんておつもりは全然ないんですよ。かわいがってもらいました。ああいう素晴らしい人たちとお酒飲んでお話聞けるのはある意味特権的なことで、今思ってもありがたいことでした」

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「結局編集者の仕事って、ふさわしい人にふさわしい舞台をさしあげること、それだけでしょう。そのために、どこでも顔出して、いろんな人と会って、常に最新の情報をチェックしておく。手を抜かない。凡庸な人間は手間ひまかけるしかないわけです。

何度も書き直しさせるのが偉いと思ってる編集者もいましたが、書き直し2回させたらそれはダメな編集者でしょう。1回で良くならなかったら指示が悪かったということです。あるいはそもそも著者選びが間違っている。頼むべきでない人に頼んでいる。

『今の若い編集者は』という人は昔からいましたね。私も散々言われた(笑)。
しかし後輩たちの方がよほど優秀なんじゃないかな、上の世代の方々より。
まあ優秀な人は『今の若い編集者は』なんて言いませんよ」

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足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本 小林篤

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「小林篤さんというルポライターがいます。三宅島在住で、晴れがましいことが大嫌いな男で、彼がどう思っているかはともかく、私にとっては生涯の親友です。

彼は凄いです。とにかく徹底的に取材する。何年でもかけて。あまりにも徹底的にやるからいまだに著書が1冊しかない。足利の幼女誘拐殺人事件を追い続けて、冤罪を証明することになった1冊です。(注1)

今もじつは待ってる原稿があるんですよ。もう20年(笑)。彼と私が組むとそういうことになってしまう。
『おれは必ず書く。本にならなくても、あんたに読んでもらえばそれで本望だ』なんて言う。

そういう友がいるのは幸せです。でも、いやいや、本にしたいですよ。待ってます」

注1『足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本)』小林篤著 講談社文庫


矢吹俊吉(やぶきしゅんきち)
1954年、茨城県土浦市生まれ。12歳のとき初めて竹刀を握り、中学、高校、大学と剣道三昧ですごす。1977年、講談社入社。校閲局を経て月刊「現代」編集部に異動。1992年~96年、同誌編集長。その後、現代新書、ノンフィクション書籍の出版部長、ランダムハウス講談社編集局長、講談社学芸局長を経て、2012年より現職。1994年、ルポライター小林篤さんの誘いにより将棋を指し始め、2003年、将棋のご縁で「ホテル暴風雨」オーナーと出会う。