山本明美社長インタビュー、第4回です。順調そのものだったリラクゼーション事業に、まったく思ってもみなかった風評被害がふりかかります。経営者として最大の危機を語っていただきました。
最大の危機。感謝の気持ち。
「自社店だけでなく、他社からもリラクゼーション施設の開発・プロデュースを頼まれるようになり、一時は全国を飛びまわり、目がまわるような忙しさでした。
気がつけば従業員も200人を超えていました。
そんな忙しい中に、突然あの日がやってきました。
2006年9月のことです。神宮前店のオープンを二週間後に控えた日のことでした。電車の中吊り広告の見出しに岩盤浴のカビ問題のことがドーンと大きく出ていたのです。全部の車両の中吊り広告にです。
どこかの1店舗の事例を取り上げたものでしたが、いかにも岩盤浴店全部にカビがあるように誤解させる見出しでした。
新興市場である岩盤浴は、美容と健康に良いということから、全国的にどんどん出店が相次ぎまさに飛ぶ鳥落とす勢いでした。
しかしその後週刊誌3誌で次々にネガティブキャンペーンが始まると、その影響はすさまじく、全国の岩盤浴店はどこもお客様が激減し大打撃となりました。
当社も岩盤浴併設店は、売上が半分近くまで下がり、風評被害の大きさは予想を超えるものでした。
この後の半年から一年、まさに会社は火の車でした。私は資金繰りで眠れない苦しい日々が続き、資金調達のために金融機関や株主の協力を仰ごうと全国奔走しました。
一度は融資をOKしてもらった、昔からお世話になってる方から当日になって突然断られたことがありました。目の前が真っ暗になり もう駄目かもしれないと思いながら駅に歩いていたら、この会社の常務で社長の奥様である方が追いかけてきて、
「主人には止められたのだけど、これは実家の親に家を建てるためにとっておいた資金です。でも、私はあなたの経営者として頑張っている姿をぜひ応援したいと思っているから、使って!」
と5000万の小切手を渡していただいたんです。本当にこのときは嬉しさと感謝で涙があふれ出しました。
それから、必死で会社を立て直し この小切手をいただいた恩人の方にも2年後に完済できました。
「実はもうお金は返ってこないと思っていたのよ、それでもいいと思っていた…」
そう言ってくださいました。
経営人生の中で、この経験は一生涯忘れることはできない苦しい経験でしたが、財産だと思っています。
全国の岩盤浴事業の経営者が集まり、経済産業省も関わって何度も対策会などが実施され、日本岩盤温浴協会が設立されましたが、すでに一年以上が経過していて、全国の多くの店舗が閉店を余儀なくされました。結局200社近い企業のうち、10社程度しか継続できなかったんです。当社は生き残った1社なんです。
閉店を知らせるときのスタッフの悲しい表情、店舗解体のときの自分の身体を切り刻まれるような思い、二度とこのようなことにならないような経営をしなければならないと心に誓いました。
お客様をリラックスさせるために始めた事業が、自分自身を追いこみ、いつのまにか出店すること、事業拡大することが目的のようになっていて、これは本来の志と違うと感じました。
もう一度原点に還ろうと、元々のデザイン事業とリラクゼーション事業を引きつぐ形でMBO(Management Buyout、経営陣買収)したのが2010年2月のことでした。
この判断は今でも本当に良かったと思っています」
山本明美社長インタビュー、次回はいよいよ最終回となります。どうぞお楽しみに!
山本明美(やまもとあけみ)
宮崎県出身:ASC創業社長
1988年 富士通FIP退社後、同年「ASC:アスク」を創業。DTP〜IR支援企業の制作プロダクションとして事業を拡大。2002年、リラクゼーション事業を開始。「ボディケア利楽園」を開店、2004年、業界初の株式公開、日米22店舗展開し利楽園ブランドを構築した。また遊休不動産の付加価値事業として日米で40以上の開発プロジェクトを手掛けた。(リンク参照)http://relaken.com/akemi-yamamoto-desgin-produce-work
2009年から開発を手掛けた”米国初の本格岩盤浴”は 日本の温浴文化として地元で話題となった。現在 レイクウッド市、アナハイムヒルズに岩盤浴スタジオを開発中。また居住用不動産の販売管理とバリューアップデザイン開発プロジェクトはテキサス州にも展開している。