デザイン会社K2 長友啓典社長 第1回


今月のインタビューはアートディレクター長友啓典さんです。若くして国内外で受賞、50年にわたり日本のデザイン界をリードしてきた長友さんは、デザイン会社K2の社長でもあります。クリエイターであると同時に社長であるとはどういうことか。5回連続でお送りします。


「じゃんけんに負けて社長になった」
長友啓典社長(撮影 中野義樹)

長友啓典社長(撮影 中野義樹)

社長という仕事について、いろいろうかがわせてください。

「社長インタビューですか。ぼくはこういうの向いてないかもわからんけど。社長という認識がないんですよ、あんまり。30歳のとき黒田征太郎と一緒に会社始めたんやけど、じゃんけんで負けた方が社長になっただけで(笑)。

日本デザインセンターをやめてK2作ったのが1969年。もう47年前ですか。
ぼくらの世界では一人前になったら独立するのは当然やったし、30歳もまあいいころあい。時代的にも東京オリンピックを境に日本がばあっと発展していったころで、70年には大阪万博あるし、これを機に独立しようやと。

「仕事来るのかな?」とか、そんな心配全然なかった。そういう時代のムードだったんです。だから、いわゆる社長業という感じとはずいぶん違うんですよ。株式会社のなんたるかもまるで知らんで始めたわけだし、会社ごっこみたいなもんです(笑)。

ちょっと変わったのは20年もたってバブルが弾けたとき。
うちは関係ないと思うてたけど違った。やっぱりどんな会社も大きな時代の流れの中にあるんですね。

仕事減って、でも出ていくもんは減らない、むしろ社員の給料とか増えていくでしょう。あるとき気がついたら社員に給料払うために働いているような感じになってて。
これは大変、初めて、営業せなあかん、お金の管理せなあかん、となった。
経費節減、月末支払い、約束手形、いろんなこと覚えて、「ああ、おれ社長なんやな」と。20年たってやっと気づいた(笑)。

30人くらいいたスタッフも縮小しました。大阪にもあった事務所をたたんだり。
社長とクリエイターを両立するのが大変って、こういうことやったかと。初めてわかりました。
それまで何もしなくても仕事があって、お金も入ってきて、入ってきただけ酒飲んで(笑)、全然心配なかったんですもん」

長友啓典社長。K2設立初期のスタッフと

K2設立初期のスタッフと

社長にならず、1クリエイターでいればよかったと思われましたか?

「それはないです。社長業があるからクリエイターとしての勘が鈍るとかは全然ない。
それにね、お金なかったら、どうやりくりするか考えるのもけっこう楽しいんですよ。

たとえば、タクシーばっか使ってたのが電車になるでしょう。駅でポスター見るわけです。車内で中づり見るわけです。うちの会社でいっぱい作ってるんですよ。でも見てなかった。現場でどんなふうか毎日見られるようになった。あ、こういう生活も悪くないな、と。
「気軽にタクシーも使えなくなった」じゃなくて、「面白いやん電車通勤」なんですね」

経費節減の工夫も楽しむという長友さん。やはり経営にも向いていらっしゃるのではないでしょうか。次回はK2の仕事、デザインについてうかがいます。

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長友 啓典(ながとも けいすけ) アートディレクター
1939年大阪生まれ。61年 桑澤デザイン研究所卒業。同年、日本デザインセンター入社。69年 黒田征太郎とK2設立。講談社出版文化賞【ブックデザイン賞】など各種賞を受賞。2014年絵本「青のない国」(小さい書房)を風木一人氏、松昭教氏共著で出版するなどエディトリアル、各種広告、企業CI、及びイベント会場構成のアートディレクションを手がけるほか、多数の小説に挿絵、雑誌にエッセイを連載など幅広く活動し現在に至る。
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