株式会社メディアエッグ 高橋美江社長 第3回

高橋美江社長をお迎えしての社長インタビュー、第3回は「社長になるまでの道のり」をおうかがいします。


「なぜ起業したのか?」
高橋美江社長

高橋美江社長 photo by Mari Okuda

社長になる前は何をされていたのでしょうか?

「大学出て最初に勤めたのは外資系の銀行でした。4年半ほどいました。でも性格に合わなかった(笑)。特に新人の仕事は機械的なことがほとんどで、面白いと思えなかったんです。

そんなときアフターファイヴにライターのバイトをしました。都内の面白スポットを取材して記事にする仕事でした。これは面白かった。とにかく自分がやりたいと感じることをやらなきゃ、と転職を決意しました。

とは言っても確たる方針があったわけではなく、ある会社を受けて、合格したのに直前で迷ってやめてしまったり、踏ん切りのつかない時期がしばらくありました。

英語が好きだったので、ある通訳学校の研修生になりました。徒弟制というか、学校や先生の下働きをするかわりにタダで通わせてもらったんです。ここが面白いところで、本当にいろいろな体験をさせてもらいました。通訳・翻訳の仕事で、銀行、シンクタンク、テレビ局などに派遣されたんです。

でもあまり伸びなかった。仕事したところから「またやって」の声がかからなくて。ずいぶん悩みましたね。向いてないのかとも思った。

また金融機関に戻って働き始めました。英語の仕事はもうやめようと思ったんです」

それがなぜ、通訳・翻訳の世界に復帰することに?

「2001年、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)がありました。テレビを見て大変なことになったと思ってたら翌日電話があったんです。テレビ局に行ってくれないか、と。英語人材がとにかく不足していたんですね。そのときの現場はもう嵐のようでした。

それから3年ほど日本テレビ系の「きょうの出来事」という番組に関わることになります。当時の現場はとても少人数で、一人一人の創造性が引き出されるし、みんなで作っている実感がすごくあったんです。一気にやる気出ちゃって。夢中で勉強しました。毎日一日中ニュース見て、朝早くから夜遅くまで働き、テレビ局に泊り込んだりも。

絵本作家の木村裕一先生と知り合ったのもこのころです。いつか本の仕事もしたいと思っていたので、アシスタントにしていただき、講演会や展覧会の準備、絵本教室の運営等のお手伝いもするようになりました。

しかし両方はさすがに厳しかった。個人的なことを言えば、私シングルマザーなんですよ。だから仕事と子育てどう両立するかという問題もある。このままじゃ周囲に迷惑をかける、さあどうしようと考え、そこで出てきたのが起業でした。

やりたいこと全部を一人ではできない。だから会社ということです」

会社を作ることは大きな決断でしたか?

「実はそうでもなかったんです。父が商売をしていて、会社を作るところ、いいとき、悪いとき、みんな見ていたからでしょうか。

ただ本当に決めたときは偶然の助けもありましたよ。背中を押してもらったというか。木村先生と先生の事務所の税理士さんと3人でお昼食べてたんです。話の流れでふと「会社作ろうかと思ってるんです」って言ったらすぐ「それいいね!」って言われて(笑)

その場に税理士さんもいますからね。経理をお願いして、司法書士も紹介してもらうことになり、もう、とんとん拍子。結局2ヶ月くらいで会社作っちゃたんです。
起業ははずみでした(笑)」

挫折も含め多くを経験してきた高橋社長。それがすべて今に生きているようです。
次回は社長の人脈についておうかがいします。どうぞお楽しみに!

木村裕一 日本を代表する絵本・童話作家のひとり。代表作に映画化、歌舞伎化もされた『あらしのよるに』、200万部突破の『いないいないばああそび』など。
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高橋 美江(中井 はるの)
東京在住。外資系銀行勤務後、フリーの翻訳・通訳に転向する。子どもの誕生を機に、児童書の世界に夢中になり、絵本作家のアシスタントなどを経て、(株)メディアエッグを立ち上げる。翻訳は『グレッグのダメ日記』(ポプラ社)、『ちっちゃなサリーはみていたよ』(岩崎書店)、『ワンダー』(ほるぷ出版)、『木の葉のホームワーク』(講談社、産経児童出版文化賞受賞)など。他にディズニー作品などの児童向けノベライズも出している。
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