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「漫画の交換をしています」と私は言った。
父親は軽くうなずき、母親はじっと私を見つめていた。父親は「とりあえずそれでいいだろう」といった態度だった。母親の心中はよくわからなかった。彼女はきっと言いたいことが山ほどあるのだろう。しかしそれを抑えていた。「言えばいいのに」と私は思ったのだが、言わなかった。きっとなにか理由があるのだろう。夫婦で話し合ったのかもしれないし、自分で決めたのかもしれない。
「それで……娘の絵はどんな具合です?」と父親。漫画だと言ってるのに、こんな質問をしてくる。「……まあ、仕方がないさ。この人にとっては漫画でも絵でもどうでもいいのだろう。そもそも興味がないのだから」と思いつつ返答した。
「漫画の内容を話すわけにはいかないのですが……」と前置きし、人物デッサンがしっかりしていること、ストーリーの展開には強い意思を感じること、字がきれいでメッセージにも稚拙さは感じられないこと……思いつくままに私は答えた。感心した点をそのままに伝えた。
父親は何度もうなずいた。とりあえず満足そうだった。
「娘との交換はつづきそうですか?」
「それは彼女次第です」
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父親がとにかく報酬を決めたがったので、スケッチブック1回の制作につき5000円と決めた。私が提示した4000円に対し、彼が5000円としたのだ。この報酬が決まったので、彼としては「やれやれ一件落着」という気分だったのだろう。何事にもビジネスライクでクールなタイプなのにちがいない。
私は先ほど彼から受け取ったばかりの菓子折りをチラッと見た。この程度の訪問でも、彼は毎回きちんと紙袋に入った菓子折りを持ってくる。私が一人暮らしだと重々に承知の上で「なんでこんな高級な菓子折りを」と思うほどの逸品を玄関先でさっと出す。……すべて、彼という人間を象徴しているように見えた。立派な邸宅、車庫に入ったBMW、服装や立ち居振る舞い……「この人はきっと会社の重役とか、そういう地位のある人なんだろうな」と私は思っていた。年齢はたぶん50歳前後だろう。
その父親に対して母親はずいぶん若く見える。たぶん40歳前後だろうが、雰囲気としては30代半ばといったところか。切れ長の目、シックな濃紺のファッション、どことなくアンニュイな雰囲気……かつてモデルとして一世を風靡していた時代の山口小夜子にちょっと似ている。
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「気味が悪いとか、どこか異常だとか……そういうものはまなみの漫画にありますか?」
母親の声を聞いたのはずいぶん久々な気さえした。とにかく彼女は口を開き、その質問内容は「さすがだ」と思わせる内容だった。
「いまのところ、そうしたものは全くありません」
自分でも「おいおい」と思うほどに、私の言葉はそっけなかった。「もっと丁寧に説明してやれよ。少しは安心させてやれよ」という内心の言葉はあったのだ。しかしなにかがそれを制した。私は微妙に母親と対立している自分を自覚していた。奇妙な心理だと思いつつ、母親と対立することでまなみの側に立とうとしている自分がいるように感じていた。
母親は私の微妙にそっけない態度を敏感に察知したのかもしれない。探るような目で私をじっと見たが、なにも言わなかった。「言えばいいのに」と私は思ったのだが、言わなかった。
……………………………………………【 つづく 】
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