魔の絵(8)

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不本意ながら、この際、フランケンシュタインは頭から外すことにした。フランケンシュタインにこだわればこだわるほど、この仕事、「引きこもり娘とスケッチブックを交換する」という奇妙な仕事の本来の意図から目を背けてしまう結果になるような気がする。また彼女が描いた漫画表現のテクニックや、そこから得た印象……これも頭から外すことにした。大事なことは「こちらが持ち出した設定」や「現状としての彼女の技術」に目を奪われないことだ。そんなことは枝葉だ。

改めて彼女が描いた少年の「行動」のみに注目し、それを頭の中で再現した。少年はベッドから落ちて目を覚ました。スマホを手にしたが、そのまま机上に戻した。部屋を出て自転車を走らせ、コンビニでちょっと高級なチョコレートキャンディーを買った。再び自転車を走らせ、ある家の玄関先で止まった。あかりのついた窓を見上げた。

この経過を、頭の中で何度も再現した。思春期の淡くせつない想いが、じわっと浮かび上がってきたように感じた。少年はスマホを手にした。だれかの声を聞きたいと思ったのかもしれない。しかしやめた。コンビニに行き、高級なチョコレートキャンディーを買った。「自分のため」ではないのかもしれない。ある家の玄関先まで行き、あかりのついた窓を見上げた。そこにこそ彼の想いは最初から向かっていたのだろう。

「……ははあ」とうなずいた。彼女が描きたいストーリーのおぼろげな輪郭がようやく見えてきたように思い、同時に「なんとも気恥ずかしい展開を描く羽目になった」と苦笑気分になった。しかし察知したからには、描かなくてはならない。「気恥ずかしい」などと言ってやめるわけにはいかない。依頼されたわけではないが、必要とあらば、どのような内容の絵であれ漫画であれ、描くのがプロというものである。余計な羞恥心や雑感や自尊心を「ええいやかましい!」と脇に押しのけるような気分で、少年にのみ感情移入した。次の展開を考えつつ、スケッチブックを広げて絵コンテにとりかかった。

「絵コンテ?……なにそれ?」という読者がいるかもしれない。要するにラフである。コマ割り漫画の場合は、コマの大きさや配置、また登場人物の見せ方などを絵コンテであれこれ模索し、決定したら「ペン入れ」する。その絵コンテに着手した段階で「今回は1ページじゃ無理だ」と判断した。2ページ構成で行くことに決めた。メッセージはなくてもいいだろう。

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(2ページ漫画)
少年はしばらく黙って窓を眺めていたが、スマホを取り出した。相手が出ると、一言だけささやいた。窓が開き、少女が顔を出した。少年は笑ってチョコレートキャンディーの箱をチラッと見せた。少女も笑い、ちょっと姿を消した。再び窓に戻ってきたときは、手にロープを持っていた。するするとそれを下ろす。少年はキャンディーをロープの先端にくくりつけた。少女はそれを手にすると、箱を開封した。ビニールの包みを破り、一口だけかじった。そのまま箱に戻し、再び降ろした。
少年はキャンディーを見た。そこには彼女の歯型がくっきりと残っていた。残りを全部食べ、無言で彼女に手を振った。

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1週間でこの2ページを完成させるのはなかなかハードだった。本来の仕事ではなく、このような物語の展開を依頼されたわけでもなく、1週間でなくともよかった。しかし「この依頼から逃げない」と決め、「スケッチブックを交換する」と決め、「1週間」と決めた。全部自分で決めた仕事の手を抜くわけにはいかなかった。「手を抜く」どころか、なにかにとりつかれたように、この絵コンテがずっと頭を離れなかった。

いかに多忙でも、午前0時にはベッドに入る生活を信条としてきた。仕事の重なり具合により、翌朝の起床時間を調整してきた。どうにも多忙な時は、5時とか6時に起きる。それほど多忙でない時は、7時とか8時に起きる。
ところがこの仕事を開始してからというもの、ベッドにもぐりこんで目を閉じた瞬間に、何度も絵コンテの検討をしていた。どうにも気に入らないコマがある。「明日の朝でいいじゃん」と思いつつ何度も寝返りをうつのだが、どうにも眠りにつけない。半時間ほどモンモンとしたあげく舌打ちをするような気分でベッドを出て、1時間ほどかけてそのコマを描き直した。「こんなことをしていると寝不足になるぞ。生活がすさんでくるぞ」と思いつつ絵コンテの呪縛から抜け出すことができなかった。
「漫画家のノイローゼがよくわかるよ」と苦笑した。

……………………………………………【 つづく 】

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