悪魔談(5)

悪魔談5

我々が心の内に持っているのが悪魔である。そのほかに悪魔はいない。
(アンデルセン)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・**
「男の人はどうして女のあそこを見たいの?」
この単刀直入にして男の喉仏にナイフの切っ先をチクリと突き立てるような質問は、突き立てられた男がその時から46年という歳月を経過してもなお、明確に答えることができない。さすがは「悪魔崇拝の早熟娘」というべきか、当時のルシファンだからこそ出てきた毒質問であるようにさえ思える。
滑稽なことに当時のぼくは果敢にも(……あるいは「無謀にも」というべきか)その難問に答えようとした。その痕跡が日記帳に残っている。
「女の人がみな真検に隠そうとするから、結果として男は見たいと思ってしまうのだ」
60歳のぼくは、14歳の自分の「苦悩の痕跡」を見て思わず笑ってしまう。当時は「真剣に」を「真検に」と思っていたらしい。「検定」だの「検査」だのといった「検」だらけの日常生活だったからだろう。また「結果として」という言い回しに、まだまだ文章の未熟を認めつつ精一杯背伸びしようとしていた当時のレトリックを感じる。

中学2年生といえば、ぼくは外国文学に目覚めた時期だった。ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」に感動し、ジュール・ヴェルヌの「海底二万海里」に夢中だった。ちょっとハードボイルドで、カッコいい文章のひとつも書けるような男になりたいと願っていたのだろう。
ともあれ当時のぼくは、上記以外にも(あまりにも稚拙で恥ずかしくここに載せる気には到底なれないような)理由をあれこれ真剣に考えては書き出し、その数項目は赤の横線で撤回し、また書いている。箇条書きにして7項目も書き、そのうちの5項目を撤回している。しかし最終的に残った2項目を彼女に伝えたのかどうか、記憶にない。また日記帳にも、それに関する記述はない。おそらく「いま考えてる」とか「まだ答えが出てない」とか言って、先延ばしにしていたのだろう。返答はついにできなかったのだろう。しかしこの質問が当時のぼくに与えた影響は、かなり深かったように思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・**
あるシーンがなつかしく思い出される。
放課後、校舎屋上の日陰に集合した4人の詰襟男子たち。その中の1人は得意満面。彼は5歳年上の兄からもらったとかの本を見せびらかすために、3人を屋上に誘ったのだ。5歳年上の兄。当時の我々から見れば、高校よりさらに上の大学生である。そんな兄がいることがうらやましかったが、さらにうらやましかったのは、彼がものすごくもったいぶって二重に包んだビニール袋から出した1冊の本だった。……とここまで書けば、あなたにはもう想像がついているだろう。まったくそのとおり。
「すげー」「まるみえやん」「でもあんまり美人やないな」
額をくっつけるようにして見入り、いまや興奮ボルテージ最高潮のクラスメイトたちを横目で見ながら、ぼくはそのような状況においてさえ「なぜ見たいのか」という疑問に相変わらずとらわれていた。ぼくにとって衝撃的だったのはその女性のポーズではなく、彼女がカメラ目線で微笑していることだった。つまりこの時点で「女の人がみな真検に隠そうとするから」という理由は見事に覆されてしまったのだ。彼女は誘うように微笑しており、ちっとも真剣に隠そうとはしていなかった。かくしてこの疑問は解けずさらに奇怪な存在となってぼくの前に立ちふさがり、悩みはさらに深まった。まさに「魔のささやき」とも言える難問だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・**
話を少し戻そう。「なぜ初夏の夜に線路ぎわをふたりで歩いていたのか」という話である。ルシファンが「いまね、あの屋根の下でね、誰かが怖い話をしてる」と言って笑った話である。
その夜、ぼくは父から命じられた任務があった。となり町の中学校にシュウマイを届けろというのだ。その中学校の宿直室には父の友人教師がいるはずであり、その教師はシュウマイが大好きだから「きっと喜ぶ」と父は言った。ぼくは了解したものの、内心は不満たらたらだった。夜に知らない中学校に入ってゆき、知らない教師にシュウマイの赤い箱を渡すなど、なんでこのぼくがやらねばならんのか。「自分で持っていけばいいのに」と何度か思ったが、その依頼をした夕方の時点で、父はすでに大相撲を見つつ上機嫌でビールを飲んでいた。自分で行くとは到底考えられなかった。

ぼくはしかたなく自転車を引き出そうとし、その時点で数日前からパンクしていることを思い出した。イヤなことばかりが次々に重なってくるようだった。舌打ちをするような気分で自転車を押して行き、近所の自転車屋さんに寄った。その店の前でぱったりとルシファンに会ったのだ。彼女はその偶然を喜び、ぼくの任務を聞いてさらに喜んだ。「一緒に行く」と言いだしたとき、なぜかぼくはその希望を半ば予想していた。「もうどうでもいい」といった気分でぼくはその店にパンクした自転車を預け、そこから歩いて行くことにした。線路ぎわを15分ほど歩いたところに、その中学校はあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つづく)


スポンサーリンク

フォローする