なにかに蹴つまずいた。慎重に接近したつもりが、やはり光の行方に気をとられていたせいかもしれない。そこは墓場の入口あたりだった。周囲がなにかで囲ってあるような墓場ではなく、この暗闇では入口があるのかないのかさえわからないような墓場だったが、とにかく「ここから先は墓場だな」と思われるようなところだった。
かろうじて転倒は避けたが、ガサッという音を立ててしまった。雑草や樹木に埋もれたような墓場だったので、地上を這っているツタ系の植物にでも足をとられたのかもしれない。
「あっ」と思った時にはもう上体が崩れ、懐中電灯を落としてしまった。そのままの姿勢で息を殺すようにして光の行方をうかがった。特にこちらに光を向けることもなく、光はそのまま墓場の中に入ってきた。林立する十字架の向こうで光が移動しつつ明滅している。手探りで懐中電灯を見つけ、十字架の影から影へと移動するようにして接近した。数メートルの近さまで接近した時、ボウッと十字架が輝いた。懐中電灯の光ではなかった。
しばらく様子を見ていて、どうやらカンテラらしいとわかった。しかしなにをしているのか全くわからない。じりじりする気持ちを抑えようがなかった。もう少し、もう少しと距離を縮めて近づこうとしていた時、思いもかけず声を聞いた。なにを言ってるのかわからないが、どうやらTTに向かって発せられた声であるように思われた。穏やかな老人の声だった。
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TTは観念した。見つかってしまったからには仕方がない。彼は立ち上がり、懐中電灯のスイッチを入れた。老人はTTの姿を見た時も格別驚いた様子ではなかった。老人の足もとには古めかしい造りのカンテラが置いてあり、中にはロウソクが輝いていた。
その脇にある大きな袋……それは毛布のような大きな布で作ったと思われ、肩から斜めに背負うことができるように太いロープが縫いつけてあった。……それを見たTTはギョッとして背筋が凍りつきそうになった。少女の頭部がその袋からはみ出ていた。
老人はいままさにその少女を袋から出そうとしていた。TTはため息をついた。それは人形だった。パン屋にあった人形だろうか。それはわからなかった。店にいた一体、ベッドにいた三体。その四体の中のいずれかだろうか。
「彼は穴を掘り始めた。……いや掘り返し始めた、というべきかな?」
「シャベルとかで?」
「そうだ」
「自分で持って来たのか?」
「わからない。墓場のどこかに置いてあるのかもしれない」
それは見ていてイライラするほどのスローペースだった。老人の手からシャベルを取り上げて自分でやってしまいたいと何度思ったことかしれない。しかしそんなことをしたら共犯になってしまう。TTは観念してすぐ近くの墓石に座った。老人は低い声で歌を歌い始めた。なんの歌なのかさっぱりわからなかったが、それは物悲しい旋律の歌だった。
「あきれたじいさんだな、と何度も思ったよ」
人目を避けた深夜に墓場に行って穴を掘る。もうそれだけでおぞましい犯罪行為なのに、このじいさんときたら、カンテラはつけるわ歌は歌うわで、いったいどういう神経なんだとあきれる。しかもここは丘の中腹だ。村からこの方向を見たら、カンテラの光は絶対に目につくはずだ。よく大騒ぎにならないものだと思う。
老人は半時間程かけて棺桶まで掘った。TTは自分の懐中電灯を向けて穴の底を覗き込んだ。
「一見して子供の棺桶だとわかったけどね。意外に浅いところに埋まってるなと思ったよ」
老人は蓋の上の土を手ではらい、次に布で丁寧にはらった。
「中は……空だったよ」
その中に持ってきた人形をおさめ、蓋をし、再び埋めた。
「さっぱりわからないな。空の棺桶?……以前はそこに人形が入っていたというのか?」
「わからない。……しかしそうとしか思えない」
結局、TTは老人にまったく手を貸さなかった。老人は墓を埋め戻すと、カンテラを消し、さっさと丘を下って行った。
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翌朝。TTは教会に別れを告げ、坂をゆっくりと降りた。昨日の婦人はいないか。再び出会うことができれば、その場で絵を描いて見せるつもりだった。とはいえ「探しに行くようなことでもない」と思っていた。再び出会うことができれば、それでよし。できなければ、このまま村を出るつもりだった。
「謎は解明しなくてもか?」
「会ったところで、謎が解明できるとは思えない。……それに」
もうあれこれ嗅ぎ回るのは止めた方がいいのでは、という気分になっていた。この件は「多くの村人が周知しているなにか」があるのかもしれない。そんな気がしていた。
坂を下り村を出た時点で、ふと迷った。パン屋を見て思い出すことがあった。老人が手渡した地図のようなもの。あれはいったいなにを意味していたのだろう。最後に見た時、その紙は婦人の手にあった。彼女は激しい口調で老人を詰問していた。しかしいまさらパン屋に寄って老人の顔を見たところで、その謎も解明できるとは思えなかった。TTはそのままそこを去ろうとしたが、ドアがきしむ音が聞こた。思わず振り返った。その婦人がパン屋から出てきたところだった。今日も来ていたのだ。
一瞬迷ったが、やはり見せたくなった。彼は大きく手を振り、婦人と再び出会った。背中から下ろしたザックからスケッチブックを出した。十字架を描き、長方形を描き、横たわった少女を描いた。その体からグイッと矢印を伸ばして地上に出し、衣類を描いた。
「どうだった?」
彼は首を横に振った。
「だめだったよ。穏やかな微笑と共に、スケッチブックを突き返されたよ」
「なるほどねぇ。ノーコメントか」
もう少しのところまで来ていたのかもしれないじゃないか。なにか打つ手はなかったのか。そうした言葉が喉のところまで来ていたが、押さえこんだ。いまさらそんなことを言い出したところで……「せんかたなし」という言葉が浮かんだ。
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少し黙って、お互いに酒を味わった。
「……結局、人形は一度、埋葬された。じいさんがそれを、なんらかの理由で掘り返した。そういうことかな?」
「たぶんそうだろうと思う。しかしなぜ人形を埋葬したのか。なぜ掘り返したのか。……じいさんは何者か。あれこれ想像はふくらむけどね。結局、よくわからんだろうね。物語にはならんと思うね」
「事実を知りたいものだね」
「まあね。……しかし事実って、なんだ。なにか事件が起こって、それを人が伝える。その時点ですでにその言葉には枝葉がくっついてる。話はどんどん誇張されて、膨らんで、とんでもない話になっていく。もはや事実ではない。そういうもんじゃないかな」
「そのとおりだね。……しかし」
その後に言葉は浮かんで来なかった。残念な気分のみが、ゆらゆらと心中を漂っていた。
…………………………………… 【 完 】
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