エドガー・アラン・ポー【早すぎた埋葬】(9)

【 棺桶ベッド 】

世の中には変わった趣味の人がいて、毎晩、棺桶で眠りにつく人がいる。吸血鬼なのではない。吸血鬼に憧れているわけでもない。ただ「棺桶で眠る」のが好きなのだ。寝返りをうつことさえままならないような窮屈な棺桶のどこがいいのだろう。凡人にはなかなか理解できないが、そういえば、山に入った時は「ツタンカーメン寝袋」で寝るのが最高の気分だという話を穂高の山小屋で聞いて笑ったことがある。その男は「ファラオの寝心地」と言って黄金の寝袋を自慢していたが、「ファラオだって生前は普通のベッドで寝てたんだろ?」と思ったものである。余計なことは言わなかったが。

サラ・ベルナール(1844 – 1923)といえば、かのミュシャもポスターを制作したフランスの大女優だが、彼女も普段から棺桶をベッド代わりにしていたらしい。これは確かな話で、カレントリタラチャ誌(1907年)にその写真が出ている(下の写真)。棺桶の内側のパッドには、薔薇の花弁と、彼女が貰った恋文が詰まっていたそうだ。


この写真は1907年のものなので、サラが死んだ時ではなく63歳の時の彼女の睡眠シーンということになる。薔薇の芳香が漂っていても、たくさんの恋文に囲まれていても、やはり「窮屈そうだなぁ」という感想でしかない。彼女は毎晩眠る時は両腕を胸の上で組んだまま眠ったのだろうか。真夜中に何度も寝返りをうつ私としては、一晩この姿勢のままずっと眠り続けることなどありえないと思うのだが、あなたはどう思います?

【 ライプチヒ外科医報 】

さて「早すぎた埋葬」の次に進もう。今回はポーが取り上げた「早すぎた埋葬」例の第3話。

ドイツのザクセン州にライプチヒという都市がある。ザクセン州第1の都市であり、州都ドレスデンよりも人口は多い。ざっと30万人がここで暮らしている。ドイツを代表する音楽の街であり、バッハ、メンデルスゾーン、ワーグナーゆかりの街として知られる。
ポーはこの街で発行された「外科医報」を取り上げている。「近頃の号で」というやや曖昧な紹介なので、正確にはいつ発生したのかよくわからない事件だが、ともあれ順を追って見ていこう。

(1)砲兵士官が落馬。頭部に重傷を負った。
(2)昏睡状態となり死んだ。(死んだと診断された)
(3)彼は公共墓地に埋葬された。葬式は木曜日に行われた。
(4)次の日曜日、農夫が士官の墓に腰を下ろしていると、地下からかすかな振動を感じた。
(5)大騒ぎとなり、士官は堀り起こされて病院に運ばれた。
(6)病院では「仮死状態ではあるがまだ生きている」と断定。
(7)数時間ののち彼は生き返り、意識が戻った時の墓のなかでの苦痛を語った。
(8)彼は全快しそうに思われたが、治療で流電池をかけられ、それが原因で死んだ。

なんとまあ今回は前回に続き、埋葬からの奇跡の生還で「めでたしめでたし」かと思いきや、最後は病院で殺されちゃったという悲惨な結末だった。

この一番最後の「流電池をかけられた」というのはなにか。じつはこの次の第4話でもその話が出てくる。簡単に言ってしまえば人体に電気ショックを与えることで再生を期待する医療措置だ。現代の我々にとっては「AED」と言った方が話が早いだろうが、ポーの時代においては「流電池をかける」というのはどんなことをしたのか。次回で詳しく見ていきたい。

【 つづく 】


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