【 魔談498 】ヤギジイ(5)

【 初めての昆虫食 】

昆虫食は、今の時代ではさほど珍しいことではない。岐阜市には昆虫食自販機まであり、マニア(笑)の間でちょっとした話題となっている。私は買って食べてみたいとは全然思わないが、「意外に人気あり」と聞いて笑ったことがある。
私の住む八百津町(岐阜県加茂郡)には今の季節(初秋)になると食料品店の店頭に「ヘボあります」と看板が立つ。「ヘボ」とはなにか御存知だろうか。このあたりの人は(驚いたことに)「蜂の幼虫」を食べるのだ。話を聞いただけで「ギャーッ」と悲鳴をあげて逃げてしまいそうな若い女性が意外にも笑顔で買っていたりする。
私?……私は山奥に移住してからというもの、蜂には恨み重なる思いをたびたび味わってきた。しかしその恨みを「てめえらの幼虫を食ってやる!」なんて方法で仕返ししようとは思わない。
「ぐだぐだ言ってないでとにかく一度食べてみたらどうです。きっと好きになれますよ」と何度か誘われたが「わざわざそんなものを食べなくとも私は生きていけます」と言って逃げてきた。たぶん今後もそうだろう。

まあそんなわけで、8歳の時にヤギジイの家でイナゴを食べたのが、私の今回の人生における最初で最後の昆虫食だろう。
そう。私は食べたのだ。当時は料理の方法などに興味はなかったので「どのように味付けをしたのか」とかそうしたことは聞かなかった。「(佃煮のように)甘辛く煮こんで保存食料にした」と今では推測している。ヤギジイはそれをさらに(七輪に乗せた)フライパンでさっと焼き、パリパリと音を立ててさもうまそうに食っていた。それをツマミにして独特の強い匂いを放つ酒を飲んでいるときは上機嫌だった。たぶん紹興酒の類だろう。私の実家ではついぞ嗅いだことのない強烈な匂いの酒だった。

ソアも妹たちも平気でイナゴを食っていた。それを見て私も1匹を手にして口にほうりこんだ。うまいともまずいとも思わなかったが、日本の醤油とはちょっと違う醤油の風味があった。たぶん(細かく刻んだ)赤唐辛子も入っていたのだろう。次第に口中がヒリヒリしてきた。ソアたち3人姉妹を見ると、みなケラケラと笑いながら水を飲んでいる。ベッと吐き出してしまいたい気分だったが、がまんして水を飲んだ。足だか触覚だかわからない細いものが口中に残った。しかし口に手を突っこんでそれを引っぱり出すことを私は恐れた。見た途端に「うわぁ!」とか悲鳴をあげてしまいそうだったからだ。とにかくガシガシと噛んで水と一緒に喉の奥に流しこんだ。「こんなもの二度と食べるか」と決心したことはよく覚えている。

【 同時通訳 】

ヤギジイはイナゴをツマミにして(昼間から)酒を飲み、気分よく酔っぱらうと、朝鮮語でくちゃくちゃと話を始めた。彼は(歳のわりには)甲高い声だった。前に座って聞いているのは(私も含めて)4人の子どもである。ソアが即座に同時通訳してくれた。
この時の特異な体験、つまり目の前で(全く意味がわからない)異国語を聞き、それを(私と同い年の少女が)瞬時に翻訳して私に聞かせてくれたという体験は、当時の私にとってじつに衝撃的な出来事だった。それは私にとっては「非日常的」というよりも「いきなり異世界にワープした」ほどの驚きだった。私は夢中になって(毎晩のように)その時に聞いた話を(当時、日記代わりにしていた)クロッキーブックに書き綴っている。

「むかし、ヤクザをしていたときがあった」
ソアの同時通訳でそう聞いた。私は思わずヤギジイを見たが、じつは「ヤクザ」というものがどういうものなのか、よく知らなかった。ただなんとなく「やばいオジサンたち」といったイメージはあった。ヤギジイの話を止めたくなかったので、その場では私はなんとなく知っているようなフリをして、ウンウンと頷いた。

その翌日。私はヤギジイの小屋の外でソアに聞いた。
「ヤクザって、なに?」
ソアは笑った。ちょっと周囲を見回すような仕草をしたが、まわりには誰もいなかった。
「悪いおっちゃんたちやねん」
「悪いおっちゃんたち!」
なんとなく予想していたことだったが、そのような種類のおっちゃんたちが世の中にはいるのだ。しかしなにがどう悪いのか。学校では到底教えてもらえない類のことであることは、なんとなく理解できた。

【 つづく/次回最終回 】


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