【 バスチーユ広場 】
バスチーユ広場は広大な円形をしている。その中心に52mの塔がそびえており、塔のてっぺんには金色に輝く像が立っている。翼を広げた天使のように見えるのだが、なにしろ高すぎてよくわからない。「なんであそこまで高くする必要があるのか」と思ったり、「あそこまでよじ登ったらさぞかしすごい眺めだろうな」と思ったり。事前のリサーチで「あれはフランス革命の記念碑らしい」と私は知っている。「塔の下には犠牲者が埋葬されている」となにかの本に書いてあった。
革命で死ぬのは名誉だろうが、それにしても「安らかに眠る」という雰囲気からはほど遠い。なにしろ塔のまわりはガーガーと騒音&排気ガスを撒き散らしながら車がぐるぐると走り回っている。じつはこの広場は、6本の道路が交差している。6本の交差道路を信号で制御するなどまず不可能だ。ではどうするのか。いわゆるラウンドアバウト(環状交差点)で車の流れは制御されている。

たとえばあなたが車を運転していて、このバスチーユ広場に来たとしますよね。広場に入ったら、とりあえず左折する。時計まわりで円形広場をぐるぐるとまわりながら、広場の先の進みたい道に(左折して)入るのだ。このシステムだと確かに信号はいらない。したがって「信号待ち」などしなくていいというわけだ。一見、合理的な交通システムであるように思える。しかし歩道に立ってその様子をつくづくと眺めていると、車の動きはまるで「チビクロサンボ」登場のトラみたいに見える。塔の周囲をぐるぐると回り続けているように見える。「一種異様な光景だな」と思ったり「どことなく滑稽だな」と思ったり。
(余談)
このバスチーユ広場光景談はざっと35年前、1991年頃の話である。その後(やはりというか)バスチーユ広場のラウンドアバウトは騒音や事故やなんやらかんやらで周辺住民から苦情が出たらしく、2018年に環境整備工事が始まった。工事中もパリ市長にはドライバーや周辺住民から苦情が殺到した(笑)らしいが、2年間かけて、なんとか2020年に工事は完了。現在は車道はぐっと狭くなり、遊歩道エリアができ、ベンチも多数設置されているそうだ。塔の下で眠っている革命戦士たちはどう思っているのかわからないが、「車がガーガーと回り続けているよりはマシ」と思っているかもしれない。
【 古書店 】
とりあえずバスチーユ広場を一周することにした。そこから放射状にのびている道を1本ずつ順に眺めていくと、少し先に本のマークがゆらゆらと風に揺れていた。金属製のいわゆる「突き出し看板」だ。「お、本屋さんらしいな」ということで、その店に行くことにした。
そこは古書店だった。古風なドアをギィッと開いて店内に入ると、独特の匂いがふわりと漂ってきた。どう表現したらいいのか悩むが、それは日本の古書店とは違う匂いで、なんというか「年配者用男性コロン」を連想させるような人工的な匂いだった。店長の趣味かもしれない。
目の前の平積みにされた雑誌の上に、大きなクロトラ猫がドーンと座っており、私をジロッと見た。奥にいた店長らしき老人に「ボンジュー」と挨拶した。
古書店というのは、どこの国の店でもきっと似たようなものなんだろう。書店のように整然とジャンルに分けられて棚に並んでいるのではない。雑誌の類は20冊30冊の平積みでドカドカと無造作に置かれており「このあたり、雑誌なんだな」とおおよその見当はつく。しかし棚に並んでいて背表紙しか見えない本は、なんの本なのか全くわからない。文字もフランス語なので全然わからない。普段から古書店が好きな私にとっては「なんたることだ」といった苦笑気分だ。「文字がわからない」ということの無念さをしみじみと味わうハメになった。
しかしこうした場でもやはり大いに発揮されるのは探究心だ。わからないまでも背表紙のフランス語をスーッと眺めていって、ふと目に止まる題字がある。「なんの本だろう」という好奇心のみが腕を動かし、その本を棚から取り出す。
ふと目にとまった革装幀の本があった。ちょっと謎めいた雰囲気の古い本だ。どの見開きも左ページには中世の宗教画を思わせる繊細なタッチの挿絵があり、右ページには聖書の言葉と思われる数行の言葉と、大きく記された日付、そして1月から12月までの空欄があった。しかもその空欄は、細かい手描き文字でびっしりと埋まっていた。その繊細なブルーブラックのペンの筆跡は、女性ではないかと思われた。
こんなプライベートな本を古書として売っていいのかという疑問が即座に湧いたのだが、すぐ脇の木箱にぎっしりと入っている絵葉書をふと見ると、それはすでに使われた絵葉書で、誰かが誰かに送った絵葉書だった。この「記入式古書」といい「使用済絵葉書」といい、こういうのを当たり前のように売り買いする感覚というのは、我々日本人とはちょっと違うようだ。
それにしても、この本はいったいどういう目的で記入された本なのだろう。文字が読めないのはじつに残念だが、推測する楽しさもある。裏表紙に貼られたシールを見た。「1000F」(2万円)。こりゃ買うのはちょっと無理だ。
パラパラと数ページをめくってみた。記入せず空欄となっているページもある。1月から12月までの空欄で半分ほど記入されているページもある。
しばらくあれこれと想像しながらページをめくり、なんとなくわかった。それはたとえばこうだ。その日が3月16日だったら、「16」と大きく記されたページを開く。そして聖書の一節を読み、挿絵を眺め、「3月」の空欄になにか思いついたことを書きこむ。
そのようにしてたぶんこの本は、毎日開かれ、記入され、その女性の心の支えとなっていたのかもしれない。すてきな本だな、こんな本もあるのだな。そう思いつつ古書店を出た。
【 つづく 】

