魔の歌声(2)

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じつは穂高で浮石にやられたのも、足首を捻挫してしまったのも、それが初めてだった。なのでぼくは「捻挫」というものを少々甘く見ていた。「なんのこれしき」という気分がどこかにあった。その時は「北穂」山頂から涸沢まで降りてきてから、横尾、徳沢、明神、上高地という穂高アプローチの定番コースで下山していた。この道は「横尾街道」と呼ばれている。アップ&ダウンの少ないじつに気分の良い道で、普通に歩いて大体1時間ごとに山小屋がある。そうした安心感から、この日は一気に上高地まで降りてくるつもりだった。

ところが上高地まであと1時間という明神で、またもや座り込んでしまった。そのとき担いでいた70リットルザックの重量は10Kgほどで、これについても当時の感覚では「なんのこれしき」だった。しかし負傷した足首にとっては、この下山はやはり酷だった。一歩踏み出すたびに激痛が走り、顔をしかめる事態となってしまった。「なんと明神で……」とぼくはつぶやいた。悔しい気分だった。

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明神は穂高クライマーにとって、有名な分岐点である。「徳沢・明神池・上高地」の3方向に分岐している。
ここには「明神館」という旅館・食堂・土産物店を一手に引き受けた「いかにも登山口店」といった風雅な建物がある。しかしここは上高地のバスターミナルから1時間程度の距離にあり、まだまだこれから先、長い長い道程を経て穂高をめざす者にとっては、こんな入口で寄り道している余裕はない。またぼくのように穂高から一気に下山してきた者も、「ここまで降りてきたらもう上高地は目と鼻の先」という気分なので、やはり寄り道などせず、さっさと上高地を目指す。……というわけで、ここでゆったりとくつろいでいる人々の大半は、穂高クライマーではない。上高地や明神池周辺の観光や散策を楽しんでいる人々が多い。ハイヒールで歩いている女性もいる。ここよりも標高が高い山小屋とはちょっと別種の、じつに優雅な行楽ムードがごく自然に形成されている。

このような中にあって、明神館の前の大木にもたれ、大きなザックを脇に放り出して苦痛に顔をしかめていたぼくは、自分が思っている以上に目立つ存在だったのかもしれない。
「今日はここでアウトか」とぼくは考えていた。「……となれば、ここに泊まるしかない」
ようやく人里まで降りてきた、という安堵感はあった。単独行をこよなく愛する男にとって「身の危険を直に感じる緊張感」は去った。しかし人里とは、その代償を要求してくるところである。つまりなにをするにしても、金のかかるところである。ここに泊まるのは、できれば避けたかった。……というのも、なにを隠そうぼくは酒飲みで(……よく知ってますよ、という声が聞こえてきそうだが……)、今夜の楽しみは松本駅近くのホテルで荷を降ろしてから「さて」という感じで夜の松本を徘徊し、居酒屋をあれこれと物色し、カウンターの隅にでも座ってひとり静かに「謎の声」を追想しながら、熱燗と馬刺しでもやろうと思っていたのだ。ビジネスホテル代として6000円を予定していた。飲み代として4000円を予定していた。つまりその至福悦楽に1万円を予定していた。

「もしここに泊まったら……」
ぼくは目の前の賑やかな店を眺めた。泊まったことはなかったが、たぶん「決められた晩飯つき・2段ベッド」という条件で1万円が消えてしまうだろう。それはなんとしても避けたかった。ぼくはまだ「謎の声」にこだわっていた。それは記憶のどこかで、確かに聞いたことのある声だった。誰とも話をせず酒を飲み記憶の糸をたぐり、その声を追求したい夜だった。

ふと気がつくと、目の前に長靴があった。見上げると、モーガン・フリーマンによく似た雰囲気の男が立っていた。
「あんた、怪我でもしたのか?」

……………………………………………( つづく )

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