魔 談【 魔の工房1】

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いまの時期、8月の盛夏に入ると毎年必ず思い出すシーンがある。じつは楽しいシーンではない。楽しいどころか、まがまがしいシーンである。なので思い出したくない。しかし忘れることができない。

こういうのはあれこれ悩んだところで、どうしようもない。ほっておくしかない。いつも自分に言い聞かせるようにして「まあそのうちに、忘れるさ」と思うようにしている。しかしその光景がぼくの目に飛びこんで来たのは22歳の大学生時であったので、かれこれ39年もたっているのだが、記憶に残っている。足元からふわりと浮き上がってきた炎天下の夏草のにおい。ひときわ甲高い声で鳴き始めた数匹のヒグラシ。そんなことがきっかけで、それは一瞬にして再現される。39年が経過しても、一向に薄れてくれない。……ということは、これから先も記憶から遠ざかることはないのだろう。墓場まで持ってゆくことになるのだろう。願わくば「走馬灯のように……」とよく比喩される「いまわのきわの現象」に、そのシーンが出ないことを祈るばかりだ。しかし走馬灯シーンはじつによく編集された「楽しい思い出ばかりの名シーン」と聞いている。それを信じたい。

じつは頭蓋骨を掘り起こした。子供の頭蓋骨だった。

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「学術的発掘調査の協力」とその張り紙には書いてあった。
7月も下旬になると、大学はじつに閑散とした雰囲気になる。閉鎖された病院のようにガランとして静まり返った学生課ロビーにぼくはいて、壁に貼り出された夏期アルバイト求人票を眺めていた。8月のバイトをどうするか。そろそろ決めようと思っていた。「稼がないと生活に窮す」といった切羽詰まった状況ではなかったが、アクリルガッシュを買うお金が欲しかった。その頃ぼくがコツコツと制作していた幻想絵画はB1サイズという畳一畳ほどの大きさで、なおかつぼくはクリムトのように金や銀をふんだんに使った回転木馬を描いていた。絵具が不足していた。2万円ほど自由に使えるお金が欲しかった。

そのバイトの条件はこうだった。場所は長野県山間の村。交通費は大学から来ると想定した金額の半分を支給。二泊三日間の拘束。宿泊施設・食事つき。初日は面談の上、仕事内容を通達。最終日も面談の上、三日間の勤務態度を評価して報酬金額を通達。報酬は三日間の合計で15000円~20000円。

「……なんだかなぁ」というのが第一印象だった。企業や店舗からの求人内容に比べて、なんとなく細かいことにウルサそうで、なんとなくケチくさい感じだ。長野県と某大学2校の共同事業ということらしいが、それにしても「交通費は大学から来ると想定した金額の半分?……なにそれ?」といったケチくささだ。早い話が、東京都小金井市から電車に乗って現地に行くまでの電車代の半額だけ出しましょうと言うのか。なんたるケチくささだ。気乗りはまったくしなかったが、他のバイトの味気なさはさらに深刻だった。
「この世は闇だ」
ぼくはそうつぶやいて長野県まで出稼ぎに行くことに決め、学生課のドアノブを回した。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )


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