ようやく老人が出てきた。窒息気分のTTはため息をついた。
老人が手にしていたのは葉書程度の小さな紙だった。低く聞き取りづらい声でボソボソとなにかを説明しているのだが、英語ではないのでさっぱりわからない。あきれたTTは「あなたの言ってることはさっぱりわからない」という仕草を両手で見せ、苦笑して店を出ようとした。一刻も早く店を出ることしか頭になかった。
すると老人は紙を渡そうとした。見ると、地図のようなものがペンで描いてある。なんのことかさっぱりわからなかったが、もはや聞く気分も失せていた。TTは曖昧な苦笑を浮かべて紙を受け取り、胸ポケットに入れた。「Mersi」(メーシィ/ありがとう)と言葉をかけて、さっさとドアに向かった。
ドアノブに手をかけた瞬間に、どうにも抑えがたい好奇心にかられて、チラッと人形の方向に視線を走らせた。人形は薄暗がりの中に沈んでいた。燐光のような光もなく、視線のような気配も全く感じなかった。
「やはり単なる気の迷いだった……そうであろうとも」といった安堵感があったものの、完全には納得していない気分を抱えたまま急いで外に出た。
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外に出て風を感じ、解放感に包まれてホッとした。日光をずいぶん眩しく感じた。店内にいたのはたかだか15分程度のはずだが、それにしても長くいたような、色々な出来事があったような、奇妙な気分だった。
ゆっくりと歩いて丘に登り、その中腹に腰かけて、パン屋を見下ろした。
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「それにしても妙な位置にポツンとあるパン屋だな」
そう思わざるをえない。少し向こうの丘に村落が見える。教会らしき建物があり、塔もある。まるで要塞のように高い壁を巡らせている教会だ。このあたりの歴史を調べたことはなかったが、教会のたたずまいを眺めただけで「これはよほど度重なる侵略を受けたに違いない」と想像できるような村落だ。そのような時代、塔には常に見張りがいて、交代で四方を睥睨していたのだろう。侵略者が攻めてきたら、村人たちはみな教会に逃げこんで防戦したのだろう。
「……だとすれば、あのような位置にポツンと離れて建っているパン屋というのはいったい……?」
パンをまともにつくっているのかどうかさえわからない老人と、異様な雰囲気に包まれた人形。あれこれ推測してみるのだが、さっぱりわからなかった。とにかく撮影しておこうという気になり、その時になって初めてジッツオが手許にないことに気がついた。
愕然とする思いだった。
彼は「三脚」と言わない。ニックネームのように敬意をこめて「ジッツオ」と呼ぶ。それを置き忘れたことなど、国内でも海外でも今まで一度もなかった。舌打ちをするような気分であわてて立ち上がった。またあの小屋に戻らねばならんのか。考えただけで憂鬱になるような気分だったが、そんなことをグズグズと思ったところで始まらない。彼は急いで丘を降りた。余計なことは考えないようにした。
中に入ってジッツオを見つけたら、さっさと店を出よう。そう思いながら急いだ。ジイさんが店にいたら、ジッツオを見せてニヤッと笑うだけでいいだろう。長居は無用だ。人形も見ないようにしよう。
息を弾ませてドアノブに手をかけた。衝撃が走った。ドアには鍵がかかっていた。
…………………………………… 【 つづく 】
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