【 魔の帰巣人形 】(11)

「言葉がわからない。これはじつに辛いね」と私は言った。「……その場の状況を、だれからも説明してもらえない。情報不足でなにも判断できない。ましてこういう奇怪な状況では、余計にイライラするよね」
「そのとおり。だからと言って、黙ってそこに立っているだけ、というわけにもいかない」
TTは説明した。言葉に頼れないとわかりきっている状況であるからこそ、ぐっと頭をもたげてくる特別な感覚があるという。「面白いことを言い出す男だな」と改めて思う。彼が海外のバッグパッカーにこだわる理由が次第にわかってきたような気がする。通常の感覚であれば、この上なく不便だと思うような難儀な状況を、このカメラマンはむしろ楽しんでいる。

「なにしろその時は、三脚をルーマニア語でなんというのかさえ知らないからね」
「いまは知ってるのか?」
「知らない」
我々は笑った。彼はスケッチブックを開いて絵を描き始めた。サラサラッと鉛筆を滑らせるように軽やかに描くのではなく、強い筆圧を感じさせるような、しっかりした1本の直線が下描きなしでぐいぐいと伸びてゆく。私はその線を見て感心した。絵を描く人間でさえ、なかなかこうした「確信に満ちたフリーハンドライン」は描けるものではない。

それは三脚だった。さすがに長年にわたり愛用してきたジッツオだけのことはあり、カメラ台もパンハンドルもじつに正確に描かれている。「よくなにも見ないでここまで描けるものだ」と感心するほどだ。私にも長年愛用の三脚があるのだが、「見ずに描けるか?」ということになると「自信がない」と答えるしかない。

彼は5分ほどで三脚を描いた。私はスケッチブックを手にして眺めた。
「お見事!」
これなら三脚など買ったことがない人でも、すぐに見当がつくだろう。
「これを現地で描いたのか?」
「ああ」と彼はうなずいた。その時はスケッチブックも鉛筆も持ってなかったので、彼は奥の部屋を出て店先に行った。コブリッジを買ったときに、老人は鉛筆を使ってそのあたりにあった紙きれに値段を書いていた。

果たして鉛筆はすぐに見つけた。しかし適当な紙きれがなかった。
「ほとんど無意識に胸のポケットに指を持っていってね」
紙をひっぱり出した。老人が渡した紙だった。すっかり忘れていたが、地図のようなものが描いてある。その裏に三脚の絵を描いた。

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奥の部屋に戻ると、老人はすでに服を着ていた。婦人が見ている前で人形にも服を着せているのだが、じつにノロノロとした仕草で行動が遅い上に、3体の人形の服や下着が床のあちこちに散乱していてよくわからないらしく、見ているだけでイライラしてくるような光景だ。
TTは老人に三脚の絵を見せた。老人の表情をつぶさに観察しながら見せたのだが、なんの変化もなかった。「そんなバカな」と驚き、そのとき初めて「絶対にここにあるはず」という自分の勘が揺らぐのを感じた。

老人はなにかボソッとつぶやくのみで、紙をTTに戻そうとした。すると婦人が声をかけて、その紙を手にした。三脚の絵を見ても特になんの反応もなかったが、裏がえして地図のようなものをじっと見た。そのとき老人の表情が変わった。なにか言いながら婦人から紙を取り戻そうとするのだが、気力も体力も(たぶん立場も)婦人の方が断然優っている。老人は子供でも追い払うようにして左手で押しのけられ、逆に激しい詰問のような口調であれこれなじられて、タジタジの様子となった。

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「なんだかもう、全く言葉のわからない外国映画を字幕なしで見ているような気分でね」と彼は言った。ジッツオのことも気がかりだったが、この、わけのわからない状況をどう打破して行ったら理解できるのか、あるいは理解できないのか、その模索に興味を感じ始めていた。
「それともうひとつ……じつはだね」
彼の声音は微妙に変化した。
「……その3体の人形なんだけど」
下着をつけたり、つけなかったりで、ベッドに横たえられている3体の人形に、彼は魅せられていた。

……………………………………   【 つづく 】

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