【 魔の音 】( 短編魔談 5 )

【 魔の音 】

「魔の音」と言えば、あなたはどんな音を連想するだろうか。
「いまなんか変な音、しなかった?」程度の不安や恐怖では、それは「魔の音」とは言えない。古城や墓場など、いかにも魔がみなぎっていそうな場所から聞こえて来た不気味な音であれば、それは限りなく魔に近い。しかしその時点ではまだまだ「変な音」の域を出ていない。

では「魔の音」とはどんな音か。それは耳にしただけで、心胆寒からしめる音でなければならない。「断末魔」という恐ろしい言葉がある。「断末魔の叫び」などという。確かにこれには「魔」が使われている。しかしこれは「魔の音」というよりも「魔の声」だ。今回は「音」にこだわってみたい。そんな音があるのか。あるのだ。児童文学のフィールドで「これは」というシーンの音がある。

「クリスマス・キャロル」

御存知だろうか。チャールズ・ディケンズ(英国)を一躍有名にしたこの小説(1843年発行)は、題名のとおりクリスマスの時期に読むのがもっともムードがあがる作品だが、とにかく面白い話なので、私は季節に関わりなくふと読みたくなって本を開くことがある。また映画ではミュージカル版(1970年)とディズニーアニメ版(2009年)の2本を愛蔵している。これがまた両方ともじつに面白い。

前回の魔談では、原作「ジュラシック・パーク」愛読者として、スピルバーグ映画「ジュラシック・パーク」を見て失望した話をした。その点で、この2本の「クリスマス・キャロル」映画、ミュージカル版とディズニーアニメ版はじつにいい。それは一言でいえば「原作に忠実」ということなのだが、単に「忠実」といった評価以上のものを感じる。つまり「原作をこよなく愛している」とでも言おうか、そうした制作姿勢を強く感じる。スピルバーグ「ジュラシック・パーク」にはそれがないのだ。スピルバーグは原作を知った瞬間に「話としての面白さ」よりも商魂の方が動いてしまったのかもしれない。で、あのような映画になってしまった。

話を戻そう。この2本の映画、「クリスマス・キャロル」ミュージカル版とディズニーアニメ版にはざっと40年もの時の隔たりがあるのだが、ロバート・ゼメキス監督による最新ディズニーアニメ版に比べて、ミュージカル版は決して古さを感じるものではない。そもそも原作が178年前の古典的名作なので、50年前のミュージカルであろうと、これみよがしの最新アニメであろうと、面白い話は面白いのだ。

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【 スクルージ 】

さて本題。
「守銭奴」(しゅせんど)という言葉がある。なにやら妖怪めいた名称だが、妖怪ではない。ほとんど死語に近い言葉だが、それが意味するところは決して古くない。古くないどころか、まさにいまの時代は「とにかくお金ですよ。お金がすべてですよ」とドヤ顔で言ってのける人間がお笑い番組のコメンテーターとしてテレビ出演しているような時代だ。街を行き来しているスーツ人種の多くが半ば妖怪守銭奴と化しているような時代だ。

冗談はともかく、「守銭奴」とは、異常なほどお金に執着している人を言う。「ケチ」よりもさらに損得勘定の意識が強く、日常生活すべてが損得計算で明け暮れている。「へえ!」とちょっと興味をもったあなた、原作「クリスマス・キャロル」冒頭をぜひ読んでいただきたい。まさに「これでもか」レベルのスーパー守銭奴老人が出てくる。本を読まない人にはぜひ上記ミュージカル版「クリスマス・キャロル」をおすすめしたい。「すげーな、このジジイ!」というのが出てくる。それがスクルージだ。

スクルージの夕食は孤独だ。夕暮れの街はクリスマスシーズンで明るく賑やかだが、その喧騒を避けるように彼は渋面で帰路につく。賑やかな大通りから影の濃い脇道に入り、ひっそりと静まった大きな屋敷に戻った彼は、巨大なドアのノッカーをふと見て、それがマーリの顔となって彼を睨んでいることに気がつく。マーリとは何者か。かつてスクルージの共同経営者だった男だ。しかしマーリは、原作表現を借りると「ドアの鋲(びょう)のようにすっかり死んでいた」。

つまりこの物語の面白さは、話の冒頭に「スクルージの共同経営者は(数年前に)すっかり死んでいた。それはまちがいない」という説明から始まる。「絵本に死の話は禁物」という話を聞いたことがあるが、禁物どころかこの話の冒頭は、

まずはじめに申し上げると、マーリは死んでいました。これには全く、疑いがありません。(村山英太郎 訳)

こうである。児童文学にあるまじき暗い始まりだ。じつに英国的というか、ブラックユーモアに満ちた冒頭であり、そのゆえに私のような男は魅了される。

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さてこうした不吉なムード漂う「はじまりはじまり」を読者にささやいておき、物語は帰宅したスクルージの生活へと進んでいく。彼は真っ暗な広い階段をロウソクの灯だけで上り、部屋に入ると二重に鍵をかけ、暖炉の前に座る。暖炉のケチくさい火ときたら、

こんな寒い晩には、ないのと同じ。

そこへ、誰もいないはずの階下から、ドーンと大きな音が響いてくる。地下室に通じるドアが蹴飛ばされるようにして開いた振動音だ。そして何者かが階段を、ゆっくりと登ってくる。その音がじつに怖い。一歩一歩、苦痛にあえぐようにしたその歩みには、ジャリン、ジャリンという金属音が絡みついている。どうやら非常に重いクサリをズルズルと引きずりながら、階段を上ってくるような音なのだ。

この状況。階下から一段また一段と階段を上ってくる気配。何者なのか。なぜ重いクサリを引きずっているのか。スクルージはどうなるのか。これはもうぜひとも原作または映画をお楽しみいただきたい。そしてこの物語は児童文学なのであって、これまでにじつに多くの少年少女に感動の結末が与えられてきた不朽の名作であることを、最後に付け加えておきたいと思う。

…………………………………………* 魔の音・完 *

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