【 魔の移動 】( 短編魔談 6 )

【 スピードの行き着く先 】

「魔の移動」といえば、あなたはどんなイメージの移動を連想するだろうか。それはスピードだろうか。
猿から進化した(……と定説されている)人間は、活発に動きたがる動物である。なので移動は、よりスピーディーに、より早い方が「良」とされてきた。小学校の運動会で「駆けっこ」すなわち短距離競走は、競技の定番だ。「なぜこんな競技で1位2位を争う必要があるのか」などとその意義を改めて問う人などだれもいない。

いまや山手線並みに次々とホームに滑りこんでくる新幹線。本当にその本数、そのスピードがいまの日本社会にとって必要なのだろうか。リニアモーターカーに至っては、莫大な国費を投じ、広大な自然を破壊し、強引に地下を一直線に掘り進み、多数の人々の反対を押しきり、そこまでして実現させることがいまの日本社会とって本当に必要なのだろうか。「新幹線より早い、ということがエライ」(与党政治家のパーティ席上での発言)などという耳を疑うような低レベルの理由で開通させる意義が本当にあるのだろうか。

この機会、すなわち新型コロナウィルス・パンデミックに際し、三密どうこうという時代だからこそ、スピードに無意味な価値を追求するのはもうやめようではないか。我々の文明はスピード追求よりも、いまや「立ち止まる勇気」を問われている。リニアモーターカー建設など即刻中止し、その建設費を窮地に立つ飲食店に回せといいたい。スピードなど、突き詰めたところで、その先にパックリと大きな口を開けて待っているのは、悲劇でしかない。今回はその悲劇を語りたい。

【 テレポーション 】

さて本題。
移動というのは、つまるところ、A点からB点に、どうやって自分の体を動かしていくのかという手段である。歩くよりも走った方が早い。走るよりも車を使った方が早い。つまり道具を使った方がより早いという結論に人類は至る。こうして自動車や新幹線や飛行機といった道具が次々に開発された。その犠牲となって今までいったい何人の人間が死んで行ったのか。そうした疑問はもはや「論外」という扱いでしかない。スピードは価値であり、スピードのために人々はお金を払う時代となった。その方向にのみ「カネになる」ということで追求された先の先にはなにがあるのだろうか。そこでSFの登場である。そのひとつの究極手段がテレポーションだ。

テレポーション(瞬間移動)とはなにか。新シリーズ「スタートレック」で、カーク船長がキラキラッと輝くダイヤモンドダストみたいなものに全身を包まれたら、もう次の瞬間に宇宙船エンタープライズ号から惑星の上に降り立っていた。こんなのはあまりにもスタートレック的で、前時代SF的で、現実味がない。ここはもう少し開発初期段階の、リアル感漂うテレポーションを見ようではないか。そこで紹介したいのが映画「ザ・フライ」。エビフリャーのフライではない。このタイトルの「フライ」は「ハエ」である。

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ちなみに羽が生えた虫のカタカナ名はフライがついていることが多い。ハウスフライ(イエバエ)、バタフライ(チョウチョ)、ドラゴンフライ(トンボ)といった具合である。しかしてこの映画のハエはただのハエではない。なにしろ「THE」がついている。「我こそはハエの中のハエ! ハエの王様!」という話だったら童話的で平和でいいのだが、なにしろこの原作と1958年の古いSF映画に興味を持って(自分の趣味満載で)リメイク映画を作ったのが(あの)クローネンバーグ監督である。童話的であるはずがない。

このSF作品のタイトル歴がまた面白い。一番最初に世に出た小説では「蝿(はえ)/The Fly」だった。発行は1957年。なんと64年前に書かれたSF小説である。ところがあまりにも奇怪でグロテスクな話なので、アメリカ映画の邦題では「ハエ男の恐怖」(1958)となってしまった。このまがまがしいタイトルのおかげで、一気にこの物語はB級ホラーになった。しかしその後、28年が経過し、クローネンバーグ監督がリメイク映画(1986)を作るにあたって、原題「ザ・フライ」に戻したのだ。

では「ハエ男」とは何者か。テレポーションの話がなんで「ハエ男」になってしまうのか。
この映画に登場の若き天才科学者は、人間を細胞レベルで分解し、別の場所で再び組み立てて元の人間に戻すという転送手段を完成させる。しかしいよいよそれが成功段階になったという時に、テレポッド(カプセル形状の転送機)に1匹のハエが紛れ込んでしまうのだ。自らの肉体を実験台にした科学者もハエも細胞レベルで分解され、瞬時に別の場所に運ばれ、再び組み立てられた時に一緒くたになってしまう。かくして「ハエ男」が誕生。その後、彼の体に次々におぞましい異変が現れる。

ということはつまり、これは実験の失敗ではなく、偶発的なトラブルだったのだ。このトラブルがあまりにも凄まじい結果を産んでしまい、怪物誕生となってしまい、半ば成功していたはずのテレポーションの話はどっかにぶっ飛んでしまう。これはなにを意味するのか。この物語から我々はいかなる教訓を学ぶべきなのか。

結局、パッと消えて別の場所にスッと現れるような移動は魔法か手品の類に止めておいて、「そんなことを夢見ている時間があったら、しっかり歩いて腰を鍛えておきなさい」ということなのかもしれない。この物語ではテレポーション中に人間と合体させられてしまったのはハエだったが、しかし限定された空間にいる生命をいったん分解して再び組み立てるのであれば、いまの時代的に考えると、その瞬間、もし空中にウィルスが浮かんでいたとしたら、いったいどうなるのか。これはもう感染どころの話じゃない。「ウィルス男の恐怖」となってしまう。いったいどんなルックスの男に変貌してしまうのだろう。神のみぞ知る。

…………………………………………* 魔の移動・完 *

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