【 魔の終活/土方歳三 編 】(短編魔談 12)

【 新選組 】

2005年(平成17年)と言えば、かれこれ16年も前の話になるのだが、この年のNHK大河ドラマは「新選組!」だった。脚本に三谷幸喜(来年の大河ドラマもそうらしいですな)登場ということで注目された。その流れで役者の顔ぶれも話題だった。近藤勇・香取慎吾。土方歳三・山本耕史。沖田総司・藤原竜也。斎藤一・オダギリジョー。

さすがは三谷幸喜と言うべきか、(三谷が全部選んだのだろうと勝手に想像しているのだが)じつに錚々たる顔ぶれだ。(三谷が愛してやまない)香取君演じる近藤勇はスタート直後から「学芸会レベル」などとずいぶん叩かれたようだが、私は大根役者だとは思わなかった。むしろ好感を持って「この青年が、どのように近藤勇に成長していくのか」と興味を持って見守る気分だった。

この年の「日本全国新選組フィーバー」については、いまさら語るまでもないだろう。最も盛り上ったのは京都にちがいない。いたる所に「誠」の旗が立っていた。例の青い隊服姿で歩いているツアー客を何度も見た。

こんなことがあった。四条通りで祇園祭の鉾(ほこ)を組み立て始めた頃だった。私は先斗町(ぽんとちょう)で友人と飲んでいたのだが、いきなり店先でホイッスルが鳴った。なにやら拡声器で怒鳴ってる男がいる。「やれやれこんな時間に運動会かよ」と、私は笑って席を立つ気もしなかったが、友人は京都新聞に勤めている男だ。上半身は胸に「京都新聞」とプリントされたTシャツだったが、首からは(酒の席でも)銀色に輝いたオートマチックカメラをぶら下げていた。……で、気がつくともう目の前の席にいない。

二度目の「やれやれ」をつぶやいて、しばらくひとりで純米大吟醸をチビチビとやっていると、15分ほどで戻ってきた。笑いを噛み殺したような笑顔で彼が語るには、「あれは新選組ツアーのオプションだった」と。
「オプション?」
これには驚いた。夜の先斗町で、ホイッスルで、拡声器が、どうオプションなのか。

この2005年度限定・特別オプションは「先斗町で池田屋騒動の知らせを受けた土方歳三」という設定なんだそうである。……で、どうするのか。当然、池田屋に急行しなければならない。でないと少人数を率いてさっさと池田屋に突入した近藤勇は多勢に無勢、乱戦で討ち死かもしれない。

「……で、今から池田屋に走るってか?」
四条から三条まで走るらしい。あきれたというか、御苦労千万なオプションだ。しかし実際は四条から三条まで走って終りではない。そこから真剣を振り回して生死の境を泳ぐわけで、御苦労どころの騒ぎじゃない。
うんざりした気分で京都新聞男を見ると、なにやらうれしそうだ。ツアー客はみな外人さんで、なんでもたまたま金髪ミニスカート女のパンチラを撮影できたらしい。
「京都新聞も地に落ちたな」
私の罵倒などなんのその。カメラ背面の液晶画面でその収穫物を見せようとしている。
「いらん!日本酒がまずくなるわっ!」

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【 組織の魔 】

さて本題。
土方歳三と近藤勇。
新選組の盛衰をよく知る者であれば、このふたりの名を聞いただけで、胸の奥がグッと熱くなるような感慨を覚えるのではないだろうか。土方は隊士から「鬼の副長」と恐れられていた。土方にとっては頂点に君臨する近藤の存在こそが、史上最強の組織づくりに邁進できるシンボルだった。

ギザ・ピラミッドの頂点は黄金に輝いていたという説がある。まさにそのように、最強部隊の頂点は輝けるカリスマでなくてはならない。そのためにはあらゆる不平不満を一手に引き受ける「汚れ役」だけでなく、自らが進んで「組織の魔」とならなければならない。

土方が案出したとされる「局中法度」(きょくちゅうはっと)のすさまじさは、世界にも例がないと言われる。武士にあるまじきことをすれば、即座に切腹。要するに「死ね」である。
これにより、5年間で40人もの隊士が内部粛正された。その通告と実行は、近藤がいない時に迅速に行われたという。近藤が出張で広島に行っていた3ヶ月の間に、土方は3人の隊士に切腹を命じたという記録がある。

近藤は出世したが、幕府の命運は尽きようとしていた。「鳥羽伏見の戦い」で敗北。海路退却。江戸に転戦。ついに近藤は千葉県流山で捕らえられる。斬首。
「京都でさらし首」という無残な結果となってしまった近藤の報告を受けた土方の胸中は、察するに余りある。燃え上がる復讐心と、官軍の容易ならざる「うらみつらみ」を大いに感じたに違いない。地の果てまで退いても戦って戦って戦死する気概と同時に、「近藤のように捕らえられたら」という恐怖があったにちがいない。

「いよいよその時期が近い」と察知した土方は、小姓・市村鉄之助(当時16歳)を呼んだ。箱館を脱出し、日野にある土方の実家・佐藤彦五郎(歳三の義理の兄)を訪ねるように命じている。鉄之助に託したのは、1枚の写真と書付だった。

1869年(明治2年)5月、官軍は箱館を総攻撃。土方歳三戦死。享年35歳。遺体は直ちにどこかへ埋葬された。

土方はただ1枚の(たぶんお気に入りの)写真のみを残し、遺体を絶対に残さないように、官軍の手に入らないように、手配した。彼の悲願ともいうべきその終活は見事に実行され、その埋葬場所はいまだにどこなのかわかっていない。近藤の前例あってこその、彼の終活だった。

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(余談)
土方歳三の筆跡を御覧になったことはあるだろうか。見たことがない人は、彼の筆跡はどんな内面性を物語っていると想像するだろうか。
事実は(専門家の話によれば)驚くほどデリケートで、女性的で、ロマンチストな筆跡なんだそうである。ピアノに例えるならば「ショパンのノクターン」なんだそうである。

彼は(新選組隊士から隠れるようにして)ひそかに短歌や俳句を創作している。しかし部屋から出てきた時は、殺伐とした殺人集団を率いる鬼の副長だった。このギャップはいったいどういうことなのだろう。ただひたすらに「近藤のために」修羅に生きる道を選んだのだろうか。
ある筆跡専門家が書いていた感想が強く印象に残っている。
「土方歳三はもう少し遅く、たとえば明治時代にでも生まれてきたのであれば、ピアニストや詩人になっていたかもしれない。そんな男だと思われる」

…………………………………* 魔の終活/土方歳三編・完 *

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