【追悼魔談】「笑ゥせぇるすまん」藤子不二雄A

【藤子不二雄 A 】

今回は突然の「割りこみ魔談」である。どうかおつきあい願いたい。
「藤子不二雄A」が逝ってしまった。88歳。今回のみ藤子不二雄Aを語って御冥福をお祈りしたい。

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私の仕事机には、「魔談ノート」と題した黒い表紙の小型スケッチブックがいつも無造作に置いてある。「いずれ魔談で取り上げてじっくりと語ってみたい」と思ったことや、なにかふと思いついた魔談ネタを即座に書きこむようにしている。その中に「藤子不二雄Aの闇」と記したページがある。数年前に書いた文字だ。

なにがきっかけでそれを書いたのか忘れてしまったが、「笑ゥせぇるすまん」を取り上げたいと思ってそれを書いたことはよく覚えている。あなたはこの奇怪な漫画、読んだことがあるだろうか。私はアニメは見たことがないが、この漫画にまつわるちょっとした思い出がある。その話をしたい。

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かれこれ17年ほど前の話になるのだが、ある夏に私は穂高に登った。北穂まで登頂し、下山して松本まで降りてきた。盛夏でありどうにも自分の長髪を鬱陶しく感じながらの下山だったので「街に降りたら久々で床屋に行こう」と心に決めていた。「いっそ五分刈りにしたっていい」と思っていた。
私はルックスなどどうでもいいというタイプの男である。五分刈りなど中学生以来だったが、なにしろ暑い季節だったので長髪はキツかった。そこで交番を見つけ、床屋の場所を聞いた。巡査は即座に2軒を教えてくれたが「年配の理髪師がひとりでやってる店」に決めた。もう一方の「５人ほどの男女がやってる（ちょっと美容室寄りの）店」よりも好感を持ったからだ。

行ってみると、店のたたずまいはまさに理想的な渋さだった。これぞ「昭和の床屋」といった感じ。大いに気に入った。しかし入ってみると一台しかない理容客席にはすでに男がデンと座っており、待合室（……というよりも本棚で仕切られただけの待合コーナー）にもひとりの中年男性がいた。
「うわっ、これは待つことになるぞ」と思ったのだが、その夜は松本のビジネスホテルに泊まるつもりだったし、疲労感が限界に近く、とにかく70リットルのザックをすぐにでも肩から外したかったし……というわけで、のんびりと待つことにした。

ザックをドサッとおろし、古びて痛んだソファーに腰を沈め、L字型に配置された本棚を改めて見ると、漫画本がズラリと並んでいる。この店に来る客層を反映しているのだろうか、かなり古い時代の漫画本が多い。……手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄。まるでアンティークな古本店の漫画本コーナーのようだ。

私は手を伸ばして1冊を引っ張り出した。
「笑ゥせぇるすまん」
読んだことはなかった。しかし「大人向けのブラックな漫画」と聞いていた。藤子不二雄の２人はオバＱを最後にそれぞれの世界に分かれ、「白藤子／黒藤子」と呼ばれていることも知っていた。黒藤子の方はなにがどうブラックなのか興味はあったが、まだその漫画を読んではいなかった。

【喪黒福造】

一気にその世界に入った。じつに奇怪で、不気味で、意地悪で、笑顔が顔面に貼りついたような三白眼男が（驚いたことに）主人公だった。
喪黒福造（もぐろふくぞう）
「喪」ときて「黒」ときて、その後に「福造」。サングラスをかけた黒藤子がニヤッと笑っている様子を連想させるような名前だ。

平穏で、退屈で、あるいは劣等感を持っており……といった人々。まさに「小市民」という言葉に象徴される人の前に、忽然と現れる三白眼スーツ男。顔面に貼りついたような笑顔は不気味だが、極めて礼儀正しく親切なアプローチで名刺を差し出す。名刺には彼のメッセージが印刷されている。
「ココロのスキマ…お埋めします」

悩みを持っていたり、コンプレックスに苦しんでいる「普通の人々」は「何者？」と疑いつつも、ついつい喪黒福造の提案に耳を傾けてしまう。知らず知らずのあいだに「魔」の道へと引きずられて行く。

この漫画の奇妙で面白いところは、最後まで喪黒福造の狙いというか、たくらみというか、そういうものがはっきりとしないことだ。なので多くの読者は「なんかスッキリしない、妙な結末だな」といった不満というか不安というか、そうした後味の悪さを感じる人も多いだろう。しかしそこにこそ喪黒福造の狙いがある。彼は読者の「後味の悪さ」を楽しんでいるのだ。
本来の「魔」とはそういうものかもしれない。悪魔は善良な人々をそそのかすが、堕落したり破滅したりするその過程にこそ、悦楽を求める。その上で、落ちるところまで落ちてしまったらポイ捨てである。