第5章【 おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語 】
なかなか印象的な章タイトルだ。ここでもやはりふたつの物語は対比関係にある。
本文を読む前に、この章タイトルだけを眺めてあれこれ想像するのはどうだろう。
「おおぜいのための物語」。……これは古来より語りつがれてきた物語を連想させる。人の口から口へと伝えられている間に、物語はどんどん変化してゆく。あるいはカットされ、あるいは追加され、ついには元々の話とは全く異なる物語となる。
「ひとりだけのための物語」。……こちらはなかなか想像力を刺激してくれる言葉だ。大切な人、大事な人、愛する人だけのためにストーリーテラーの才覚を大いに働かせるシーンを連想させる。
ルイス・キャロルがまさにそうだ。彼は御近所のリデル家次女アリスを愛していた。恋愛ではない。少女愛である。数人でピクニックに出かけた時に、即興の物語を語って聞かせた。アリスはその物語をとても気に入り、文字にしてくれとせがんだ。こうして1冊だけの手作り本「地下の国のアリス」が誕生した。ルイス・キャロルは器用な人で、その本にはちゃんと挿絵もあったらしい。この物語が誕生した時は「不思議の国」ではなく「地下の国」だったのだ。
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さて第5章に戻ろう。
観光ガイドのジジは、いわばルイス・キャロルのようなストーリーテラーだ。しかしその才覚の使い道をまちがっている。彼は口から出まかせの、いい加減な物語をもっともらしく観光客に語る。円形劇場の廃墟に立ち、その昔、実際にここで起こった出来事を語って聞かせるかのような口調で「口から出まかせ物語」を語るのだ。聞かされて感心して、あるいは感動して、ジジが最後に差し出す帽子にお金を投げ込む観光客こそ、いい面の皮だ。
じつに詐欺師まがいの観光ガイドだが、彼の創作はモモが近くにいるといないでは、全くその出来が違う。モモがすぐ脇にいると、彼のストーリーテリングはまるで羽が生えたように一気に舞い上がる。話が途方もなくどんどん発展していく。半信半疑で来ている観光客も、思わずその話に引き込まれてしまう。観光客たちは歴史学者ではないので、その話が真実かどうかという点よりも「面白かったらナンボ」の世界だ。そういう意味ではジジの「口から出まかせ物語」はそれなりの報酬を受け取ってもまあ許せるというものかもしれない。
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以下は余談。
26年ほど前にパリに旅行に行ったとき、私はひとりで地下鉄に乗っていた。確かルーブル美術館近くを通過したときだったと記憶している。車内でいきなりフルートの演奏を始めた黒人がいた。見事な演奏だった。さすがは黒人というべきか、ジャズっぽい即興演奏だった。5分ほどの演奏の後、彼はかぶっていた野球帽を脱いで次々に乗客の前に差し出した。
私は焦った。というのも1コインを帽子に投げ込んでもいい気分だったのだが、スリを恐れてジャケットのポケットに財布は持っていなかった。背中のリュックサックの中に入れていたのだ。右手には一眼レフを持っており、少々混んだ車内で立ったままリュックサックを降ろして財布を出すようなマネはしたくなかった。
黒人は次第に近づいてきた。乗客たちは5人にひとりぐらいの割合で彼の野球帽に1コインを投げ込んでいた。「さてどうするか」と思いつつ乗客たちの対応を見ていると、みなポケットに数枚のコインを持っているらしい。カフェでお茶を飲んだときに机上に置いておくチップか、あるいは有料トイレ用なのかもしれない。それにしても、こんな時にサッとコインをポケットから出す仕草の自然なこと。舌を巻いた。
いよいよリュックを降ろすかと覚悟を決めたとき、地下鉄は駅のホームにすべりこんだ。黒人はその駅で降りてしまった。私はホッとしたのだが、そのとき以後、パリでは外出時に数枚のコインをジャケットの内ポケットに忍ばせて出かけるようになった。
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本題に戻ろう。
観光ガイド・ジジの「口から出まかせ物語」が、章タイトルにある「おおぜいのための物語」だ。では「ひとりだけのための物語」とはどんな話か。語り手は誰か。やはりジジなのだ。
この青年にとって、モモの存在はいかに大きいか。モモをいかに大切に思っているか。モモをどれほど愛しているか。それはジジが熱く語る物語の内容によってよくわかるのである。
この物語もまた、今後の「モモ」の本筋になにか影響を及ぼすものではない。「ジジとモモは運命の糸で結ばれたふたりなのでした」といった内容なので、特にその内容をここで語る必要はないと思う。興味を持った方はぜひ原作を楽しんでいただきたい。
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さて最後に、エンデは別の本でこんなことを語っている。
私の文学の創作法は、いつも、外の世界を描写するのに内界の絵を用い、内側の世界を外界の絵に反映させるという、外界と内界の交互作用にのっとっていて、お互いの世界を映像で映しあうわけです。(『三つの鏡』朝日新聞社)
外界の描写に内界の絵を使う。内界の描写に外界の絵を反映させる。
エンデのファンタジー技法は、じつにここに秘められている。対比関係の追求によって、それぞれの本質を明確にしようとするのだろう。
【 つづく 】