第13章【 向こうでは一日、ここでは一年 】
この章タイトルを見て「えっ? どういうこと?」と思った「モモ」の読者はさぞかし多いことだろう。「向こう」というのは、モモがマイスター・ホラと会っていた時間。「ここ」というのは、モモが円形劇場の廃墟に戻ってきた時間のことである。
つまり「浦島太郎的時間の流れ」が起こってしまったのだ。モモの感覚ではマイスター・ホラと会っていた時間はたった1日だった。ところが自分の家である廃墟でフッと目が覚めた時点で、その世界ではすでに1年が経過していたのだ。
「亀に導かれて行った先が、現実世界とは全く違う時間の流れ」という設定では、「モモ」は奇妙に「浦島太郎」と似ている。日本びいきだったエンデはきっと「浦島太郎」も好きだったに違いない。
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以下余談。
「浦島太郎的時間の流れ」は物語の世界ではたびたび出てくるのだが、SF映画でも出てくることがある。
「インターステラー」(2014年/クリストファー・ノーラン監督)はご存知だろうか。全編を通して独特の暗さが漂っているSF映画なのだが、話はじつに壮大だ。気候がおかしくなってしまった地球をいよいよ見限り、新たに居住するべく別の銀河系へ有人惑星間航行(インター・ステラー)する話である。
この映画に「水の惑星」が登場する。惑星探索宇宙船のクルー(乗組員)たちは、この惑星も探査するかどうかで議論となる。というのも「水の惑星の1時間は地球の7年間に相当する」ことがわかっているのだ。詳しい理屈は(興味のある人は)ネットで調べていただきたいのだが、そこで1時間過ごして宇宙船に戻ってきたら、7年が経過!……SF映画の世界ではそんな惑星があるのだ。
結局、クルーたちは「水の惑星」に探査チームを送る。色々あって、ほうほうのテイで3時間ちょっとで宇宙船に戻ってくる。ところが宇宙船で待っていたクルーにとっては、すでに23年間の月日が経過していた。
「行ってらっしゃい。気をつけてねー」で、探索に行ったクルーが「やれやれ、ただいま。ヒデー惑星だったよ」で戻ってきたら、宇宙船のクルーは「おやまあ懐かしい。行ったのはいつだっけ?……ええと23年間前。こっちはもう記憶の彼方だよ」。そういうシーンがある。
さて本題。
マイスター・ホラと会っていたのは1日。円形劇場に戻ってきたら1年。
もちろんモモがそれを即座に理解できるはずがない。廃墟で友人を待つモモにとって唯一の救いは、すぐ近くにカシオペイアがいたことだ。モモをマイスター・ホラのところに連れていった大きな亀が近くにいることで、「あの出来事は夢ではなかった!」とモモは安心できたのだ。しかしひとりで待っているモモのところに、ジジもべっポも来ない。なぜか?
ガイドのジジをまるめこむのは、灰色の男たちにはわりあいかんたんにできました。(原作)
児童文学にしてはじつに容赦なくというか、極めて現実的な「ジジ攻略作戦」が淡々と説明される。灰色の男たちはジジを「とても多忙な有名人」に仕立て上げてしまうのだ。
その方法は……
(1)新聞でジジを紹介。「ほんとうの物語の語り手として最後の人物」と大いに称賛。
(2)ジジの話をぜひ聞きたいという観光客が一気に増加。ジジの名声も一気に拡散。
(3)ジジの人気に目をつけた旅行会社がジジと契約。ツアーの目玉としてジジを利用。
(4)ジジはラジオやテレビに出演。莫大な収入を得る。大邸宅に住む有名人となる。
(5)名声とは裏腹に彼の不安は増大。「もう元の生活には戻れない」と知りつつ、モモの行方を探すべきだと決意。
(6)しかし灰色の男たちの「もしそんなことをしたらお前はどうなるかわかっているのか?」といった恐喝に屈服。
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次にベッポ。彼はこの1年、どうしていたのか。
モモの行方不明はいよいよ警察に頼るしかないと判断したベッポ。彼は次々に交番を回ってモモ捜索を訴えた。しかし「その子の身元は? 届出は? あんたの職業は?」と(いかにも警察的な)職務質問をされるばかりで、全く相手にされない。挙句の果てに留置場から精神病院にほうりこまれてしまう。
そこにこっそりとやってきた灰色の男。「モモは自分たちが預かっている」とべっポに伝え、「モモを返してほしかったら10万時間を貯蓄してもらおう」と迫る。なんとモモの身代金ならぬ「身代時間」をよこせと要求するのだ。モモをとり返したい一心で承諾するジジ。彼は退院するが自宅には戻らず、そのまま労働者収容所のような建物に行く。
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最後にモモを慕って円形劇場に遊びに来ていた子どもたち。灰色の男たちはこの子たちにも容赦ない。二度とデモなど起こさないように大人たちに働きかける。曰く、道路を勝手に行き来させるのは危険だ。曰く、親が忙しいので放置された子どもは非行に走る傾向がある。曰く、今後の未来のためになんの役にも立たない遊びなどさせるべきではない。
つい最近、どこかで聞いたような「大人の意見」が次々に出てくる。結果、(誰も面倒を見ることができない)子どもたちは自由を奪われ、市当局がつくった「子どもの家」に連れて行かれることになってしまった。
ずっと誰かが来るのを待っていたモモ。しかし結局、誰も来ない。モモはカシオペイアとの会話で、ようやく1年があっという間に過ぎ去ってしまったことを知る。それでも誰かがきっと来るだろうと待つモモ。ついに日が暮れたので、モモはカシオペイアを抱いて自分の部屋に戻る。そこには1年分のホコリがたまっていた。いたるところに蜘蛛の巣もあった。モモは机の上に手紙があるのを発見する、それはベッポが書いたもので、心からモモを心配している内容だった。
「ほらね、カシオペイア。あたしはやっぱりひとりじゃないわ」(原作)
思わず目頭が熱くなるシーンだ。
【 つづく 】